一戦交えた次の日の朝。出社してラースさんと顔を合わせるのも、微妙なところがあった。何しろ昨日の段階では、話し合いは物別れに終わっているのだ。
ラースさんから見れば僕は、「アメリカ人材採用におけるイロハを理解しようとしない、話の分からない日本人」なのだし、僕から見ればラースさんは、「バランス感覚に欠ける、自分の意見を押し付けたがる、強引なガイジン」というレッテルを貼りあった状態なのだ。
僕たちは大人だが、お互いベンチャーで自由闊達に活躍してきた過去があり、ある種の子供っぽさも持ち合わせている。
「ラースさん、おはよう」
「ああ、おはよう」
お互い目は合わせない。まずはヒューストンの人材採用とは関係ない話からスタートして様子を見よう。向こうも「加藤さん、この書類にサインが必要だから、あとでサインしておいてくれ」とか、事務的な内容からのスタートだ。日本人のエンジニアが、僕とラースさんの間に挟まれて凍りついている。
クサクサしていて、溜まったメールに返信する気にもならない。20~30分だろうか、しばらく微妙な時間が流れたあと、僕はラースさんに言った。
「コーヒーでも、飲みに行こうか」
変わり者で行こう
僕たちは、オフィスの近くにある行きつけのスタバまで歩いていき、お決まりのブラックコーヒーを頼んだ。太陽が燦々と降り注ぐテラス席に座ると、大きく伸びをしてから、僕が口火を切る。
「あのさぁ、ラースさん、僕はね、この冒険にラースさんが不可欠だと思っているんだ」
向こうは、この日本人は、いきなり何の話をし始めたんだろうという顔をしている。
「あ、ああ、それは、嬉しいよ」。ラースさんが答える。
僕は言葉を継いでいく。「アメリカ人は、何でも交渉だから、ヒューストンの人材採用も大変だ。正直参ってる」「日本とは、なにしろ文化が違うんだ」。
僕は去年の夏の頃を思い出していた。「でも、ラースさんは、全然僕と交渉なんてしなかったじゃないか。何しろ、最初に会った日に、うちの会社に来てくれって僕がお願いしたら、その次の日には前のスーパーコンピューターの会社に、退職しますって言っちゃったわけだしさ」。
「僕は、変わってるんだ。今の自宅も、もう20年も住んでるけれど、見学に行った、その日に購入しちゃったしね。昔から、そういう性格なんだ」。
このラースさん、なんか僕に似ているところがある。スカッとしていて、信頼できる。嘘がなく、情熱先行で、一緒にいて、気持ちがいいひとだ。
「僕も一晩考えた。ラースさんを失ってはいけない、それが僕の中での優先順位の第一だ。ヒューストンの人材採用の件、ラースさんの考えを尊重したいが、一方でそんなに予算もない。昨日電話したけど、先方とはお金の件で平行線だ。…あとは僕に何ができる?」
「加藤さん、おそらく彼の言ってる金額を全部払う必要はないのかも知れない。基本給を減らして、ボーナスの金額を少し伸ばしてあげるとか、上手く組み合わせれば、彼も飲めるところがあるかも知れないな」
「なるほど、そういうことなら、僕にもサインできる余地があるかも知れない。基本給が高いっていうのが、どうにも飲めないんだよ。ベンチャーに飛び込む覚悟みたいなものを、僕はそこで量っている気がするんだ」
「加藤さん、彼とまた話してみよう。もう少し交渉の余地があるかも知れない。僕に任せてくれないか。今すぐ電話してみるよ」
このアメリカ人には、何か気持ちが伝わっているのかもしれない。そう思った。僕にできることは、自分の正直な気持ちを伝えるだけだ。
僕はラースさんと、一日でも長く一緒に仕事をしたいと思っている。ヒューストンの人材採用の件で、テクニカルには彼の意向を尊重することができないとしても、人間として彼に向きあおう。誠実に、腹を割って、膝詰めで話をしよう。
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