しばらくして気を取り直すと、僕はヒューストンの候補者に電話をかけた。
電話口に出た候補者からは、やれ今の年収はボーナス含めてこんな感じだとか、アップサイドがもっと欲しいとか、住宅ローンの支払いがとか、グダグダと金の話が続く。彼にはカンファレンスなどで何度か会っているし、何度も一緒に食事をしている。会って話せば悪くない男なのだが、なぜ金の話になると、こうもスッキリしないのだろうか。
妥協するか?
アメリカは何でも交渉だ。日本のように何となくお互い相場観が分かっていて、ちょっと話せば分かり合えるなんてことはない。悪い言い方をすれば、能力が足りない人でも、交渉ひとつで今の自分の年収を2倍、3倍にしてやろうといつも企んでいる、そんな雰囲気すら感じる。自分を高く売り込むということが文化の一部を形成しているのだ。ヒューストンの彼が極悪人かというと、そういうことではない。日本とアメリカ、文化が違うのだ。
アップサイド、つまり事業が成功した暁に払われるべき、リスク見合いの追加報酬という観点について話せば、こちらはベンチャーとして事業はまだまだこれからというところである一方、既に2度の資金調達を終えていることから、先方にストック・オプションを含めた資本政策の柔軟性を疑われてもおかしくはない。つまり、先方にとってもアップサイドが限定的に見えてしまっているのだろう。
誰が好き好んで、こんな日本から来た変わり種と、安月給で一緒に冒険をしようというのか。僕は経営者として、これから展開していくアメリカ市場に必要な人材に対して、十分なアップサイドを用意していかなければならないだろう。たしかにこの給与水準だと、彼を採用するのはきつそうだ。
そしてまた、彼をリリースすれば、ヒューストンの人材採用は、また振り出しに戻るだろう。スピードを取るために、妥協するか。これが「アメリカ式」なのだろうか?
僕は悩んでしまった。アメリカに来てから、今度もしベンチャーを立ち上げたならば、その時はもっとこうしようという考えが頭をよぎることが多くなった。日本の若者向けに本を書いて、「ベンチャーってこうやるんだよ」なんて偉そうに吹いていたものの、アメリカでは正直言って失敗ばかりだ。
失敗をして、反省しては、それがどういう力学から来ているのかを考えて、メモに残していく。一つひとつの交渉、一つひとつの経験が、将来の成功確率を上げていく。素晴らしい学習機会だ。
僕は、一晩ゆっくり考えた。そして次の日の朝、晴れ渡るカリフォルニアの空を見つめながら、僕は「妥協しない」ことを決めた。
アメリカでは金の話をしっかりしなければならない。給料が安ければ、十分なアップサイドを作るべきだ。分かった。分かっている。しかし、…それは情熱のあとだ。
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