でも本当は、日本が

 しばらくの時が流れた。僕たちが今年2月に入り、大型の資金調達に動き始めたのは、以前の記事で書いた通りだ。アメリカで、ベンチャーキャピタル、プライベートエクイティー(未上場会社への投資を専門にする投資会社)などと資金調達に関する議論を始めた一方で、僕はどうしても、「本当は、これを日本が、日本の大企業が、社運をかけてやるべきではないか」という思いが、ふつふつと湧き上がってくるのを感じていた。

 時を同じくして、僕は昨年末から、投資銀行(企業の資金調達やM&Aをアドバイスしてくれる会社。その昔、銀行業務の一環で行われていたことから、投資銀行と呼ばれているものの、今では預金や為替といった銀行業務そのものを行っていないことが多い)にアクセスを始めた。水道産業という、時間軸の長い産業を生きる僕たちにとって、ベンチャーキャピタルから1年半おきに資金調達を行うことが最適解だとは思えなくなってきた自分がいたのだ。

 より長期的なコミットメントの下、フラクタへの資金的、事業的サポートをしてくれるという意味で、この資金調達に関しても、事業会社に打診をする必要があるのではないかと思った。しかし僕自身、今は日本に拠点が無いことから、より効率的に日本の大企業役員(社長や専務、投資担当の役員など)にアクセスするためには、投資銀行の力を借りるのが早いと思った。

 いくつもある投資銀行の中から、僕が選んだのは日本とアメリカ(サンフランシスコ)、ヨーロッパに拠点があるGCA(ジーシーエー)という投資銀行だった。これは去年、GCAのパートナーであり、GCAテクノベーションというテクノロジー関連企業専門部隊を率いる久保田さんとたまたま繋がったことがきっかけなのだが、何度も久保田さんと話をするうちに、人間的に打ち解け、僕は久保田さんと友達になったのだった。

たった一社で良い

 余談だが、久保田さんもやっぱり変わっていた。だいたいにおいて、僕にいきなり連絡をくれる人、僕と話が合う人というのは、圧倒的に変わった人が多いのだが、彼は投資銀行マンであるにもかかわらず、東京で会っても、シリコンバレーのようにラフな格好をしていて(スーツを着ていないとか、ネクタイをしていないとか、そういう次元ではなくて、ニットとジーンズとか、そういうレベルだ。そもそもあの格好で東京駅周辺のビジネス街に出没すること自体がNGなレベルなのだが、ただしこれは僕からすれば褒め言葉で、人と違うということ、変わっているということは、いつも良いことなのだ。念のためだが、僕が同じ種類の人間であることは疑いがない)、仕事の話をするときには、本質的な議論以外には一切の興味を示さず、一方で真面目な議論をするとき以外はものすごく脱力していて、要は変な人なのだ。

 僕はこの久保田さんと一緒なら、何かできるんじゃないかと直感し、タッグを組んで、日本の大企業に一斉にアタックをかけることに決めた。ロボットベンチャーの資金調達における過去の苦労もあり(僕がかつて、日本のベンチャーキャピタルや大企業に散々出資を断られた話をご存知の方も多いだろう。もしまだの方は、以前文藝春秋に掲載され、その後BLOGOSに転載されたこの記事を読んでもらえれば分かるはずだ)、昨年末、栗田工業の小林さんからのメールにお断りを入れてしまった僕は、日本の大企業に対する期待が持てるかどうか、正直どこか半信半疑だった。

 とはいえ、これをやらないで、アメリカやヨーロッパの大企業から大口の投資を受ければ将来きっと後悔をするだろうという考えから、当たって砕けろで日本の大企業に最後の大勝負をしかける気でいた。その意味で、何事にも極めて前向きな久保田さんは、最強のパートナーだったのだ。

 GCAのパートナー山本さんを仲間に加え、僕たちはフラクタに興味を持ってくれそうな大企業リストを作って、次々に日本企業にアタックした。

 「アメリカではこんなことが起こっています。日本の会社が水道産業、広くインフラ産業に切り込むチャンスだと思っています。僕の会社フラクタは、素晴らしい技術を持っていますが、まだ小さい会社です。だから、大企業の皆さん、一緒にやりませんか?」と、ラブコールを送ったのだ。

 ところが、案の定、対外上は「我が社はイノベーションに力を入れています!」と会社案内にデカデカと書いている会社に限って、反応は極めて薄く、電話会議、ビデオ会議、また僕が直接日本に飛んで議論をしても、将来テクノロジーの世界で何が起こるのか、面倒くさくて全く考えようともしない企業役員の人たちにたくさん会うことになった。

 しかし、僕ももうそんなことは慣れっこなのだ。ヒト型ロボット企業のときには毎度ガッカリしたものだが、今回は「またか」くらいに考えて、全く気にも留めないタフな自分がそこにいた。

 そう、ヒト型ロボットの時と同じだ。たった一社で良い。日本の企業で、たった一社で良いから、社運を賭けて世界で一緒に戦ってくれる会社が見つかれば、それで良いのだから。その一社以外、他の多くの会社にどんな形で断られても良い。石を投げられようが、蔑まれようが、影響はゼロだ。そう思いながら、僕と久保田さんはとにかく前を向いて進んでいった。

 そうこうしているうちに、志ある何社かの日本の大企業がフラクタへの出資に向けて大きく手を挙げてくれた。山が動いたという確かな実感があった。その頃には、アメリカの投資ファンドや海外企業からも投資したいと話をもらっていたのだが、日本の企業がついに動きだしたことに、僕は喜びを隠さなかった。