これまでフラクタの活動を応援してきてくれた読者の皆さんに、今日は僕から一つ大きな報告がある。僕たちフラクタは2018年5月30日、水処理の世界大手企業である栗田工業株式会社(東京証券取引所一部上場)との資本業務提携を発表した。
この取引では、栗田工業が約3700万ドル(=1ドル110円換算で、約40億円)を投入して、フラクタ株式の50.1%を保有することになったので、これはM&A取引、つまり友好的な企業買収取引(半分だけではあるものの、フラクタにとっては事業売却取引であり、一方で、フラクタという社名は変わらず、僕は変わらずCEOとして会社をリードする)ということになる。
資金調達に奔走する過程で、フラクタは結果として、栗田工業という願ってもない提携先を見つけることができた。かつて米Google本社に自分が作ったヒト型ロボット会社を売却したときのように、胸躍る、「電光石火の買収劇」だった。
コピー・キャットではなく
栗田工業という会社名を聞いたことがある人もない人もいるだろう。栗田工業は、水分野では世界的にとりわけ有名な優良企業であり、一方でこの会社が1949年創業であることを考えると、70年近い歴史があることになる。
ソニーや本田技研工業といった日本の大企業群は、栗田工業と同じく、第2次世界大戦直後に創業した。1960~80年代における高度経済成長期を超え、戦後のハングリー精神で事業を立ち上げた創業者が次々と引退を迎えると、大企業群は大胆な自己変革を迫られた。企業にとって、時代を切り拓き、常に自らが定義する産業の中でフロントランナーであり続けること、またフロントランナーにしか取りえない超過収益力を獲得し続けることは、企業価値を継続的に押し上げるただ一つの方法だ。
一方で、ハードからソフトへ、日本から海外へ、移ろいゆく市場に合わせて、縦横無尽にビジネスを展開していくためには、これまで自分の会社の中にあったノウハウや資源といったものとは「異質のもの(=新しいもの、変わったもの)」を、自分の中から生み出すか、外の世界から取り込むしか道は無い。自分の中から異質なものを生み出すことは、これを考えるだけでも辛く、またそれが身内であるがゆえに甘さが残るのが人情というものだ。
そうであればこそ、外の世界からそれを取り込むことが正しい選択肢のようにも思えるが、志を一つにしてくれる外の会社などあるのだろうかと悩んでしまい、多くの場合、結局手を出すことができない。この20年、30年、日本の企業はこうしたことに悩んできた歴史があるように思う。
こうした自己変革に対して、アメリカの大手企業がそうであるように、ベンチャー企業の買収(M&A)を継続的に行うことによって、「外の世界で起こったイノベーションを企業の内側に取り込むこと」が日本の大企業、とりわけテクノロジー(技術)に軸足を置く日本の大企業共通の課題であり、それは言うなれば、ある意味で日本という国家全体の課題であった。
アメリカという国が繁栄した過程には、そもそも「異質な人たちの集まり」である、アメリカという移民国家の強みを存分に活かした、外の世界(異質なもの)の取り込み活動、すなわちM&Aというものがアメリカという国の気質に合っていたことも影響しているだろう。
しかし、10年単位でテクノロジーが世の中のルールを変えてしまう現代にあって、日本にとってもこれは待ったなしの課題になってしまったのだ。ストレートに言えば、日本の大企業はこれをやらなければならなかった。しかし…。
日本から生まれるベンチャー企業は、残念なことに、いまだにアメリカのコピー・キャット型(モノマネ型)の企業が多く、海外市場にいきなり切り込んでいる会社は極めて少ない(海外市場に行っても、そもそも、その海外企業のモノマネだったので、海外市場は既に先行者に制圧されているというケースが大半だった)。
つまり、日本のグローバル企業がこうした会社をM&Aしても、世界戦略上はほとんど意味がない(これまで、国内市場だけを対象にしている中堅企業が、これまた国内市場だけを対象にしているベンチャー企業を安値で買い叩く [M&Aする] というケースはままあったが、こんなことばかりしていると、日本が国際競争に負けてしまうということは、言わずもがなだろう)。
一方で、日本の大企業が、アメリカやヨーロッパのベンチャー企業を、高値で買い急いだところで、志を一つにしてやっていくことが、また文化的に難しい。そこには構造的な理由があるにはあるので、あまり日本の大企業はダメだと大声で言うつもりはない(この処方箋について、僕なりの考え方があるのだが、その話はまた別の機会に譲ろう)。
しかし、だからこそ、僕という日本人がアメリカの西海岸、シリコンバレーで創業したベンチャー企業フラクタは、アメリカの水道産業に、十分に差別化された機械学習(人工知能)技術で切り込んでいるという意味で、大変に稀有なベンチャーだったと言えるのかもしれない。後半に述べるが、栗田工業とフラクタが、いくつもの運や縁を経験しながら、志を一つにできると思えたということも、双方の安心材料になったはずだ。
それにしても栗田工業の経営者はなぜこの意思決定ができたのだろうか。間違いなくその姿は、僕が社会人になってから、ずっと悩み続け、また一方でずっと望み続けた、日本の大企業のあるべき姿だった。日本はこれをやるべきだった。これは、日本の大企業が自らのイノベーションに向けて立ち上がった、最高の実例になると思う。しかし本当に、なぜこんなことが現実に起こったのか? せっかくだから、これまでの経緯を読者の皆さんと一緒に振り返ってみたい。
出会いは3年以上前
栗田工業との出会いは3年以上前にさかのぼる。ある企業セミナー後の懇親会で、栗田工業の新事業推進本部(現在のイノベーション推進本部)の部長(中山さん)、課長(小林さん)と立ち話をしたのがきっかけだ。
その当時、自分が将来水関係のテクノロジーを扱うとは夢にも思っていなかった僕は、正直、水処理の大手企業と自分が将来ビジネスの接点を持つとは思っていなかった。
ところが、どういうわけか、ロボットから機械学習(人工知能)へ、石油からガス、ガスから水道へとビジネスのピボット(事業の軸足をある所から別の所に移すこと)を繰り返すうち、栗田工業の小林さんとソーシャルネットワーク(実際には現在マイクロソフト傘下のLinkedIn)で繋がるようになり、ちょくちょく情報を交換するようになった。
水関係の展示会があると、小林さんから良いタイミングでメッセージが入る。
「加藤さん、もうご存じかと思いますが、今度サンフランシスコで水関係の展示会があります。フラクタさんがやられていることと近いトピックはこれとこれだと思います」
水関係のテクノロジーに投資をする投資ファンド(ベンチャーキャピタル)を紹介してもらったこともあったし、また、フラクタの給与(報酬)設定で悩んだときも、水関連のテクノロジー企業の相場などを教えてもらったこともあった。
毎度毎度、どうしてこの人は、全く事業上の接点がない僕たちに、こんなに良くしてくれるんだろうと思いながら、人的な交流を続けてきたのだ(その意味では、配管メーカー・クボタの北米営業担当である末永さんも、こういう交流を続けている一人だが、要はその人と「人間的に」繋がっているということなのだ。正直、こういう関係性がビジネスに発展した際に最も信用できると思っている)。自然な流れで、2017年末頃には、栗田工業から「出資を検討させてもらいたい」という話が舞い込むようになった。
さて、僕がこのメールに何と返信したか想像できる読者の人はいるだろうか? こともあろうに、「せっかくですが、お断りさせていただきます」と返信をしてしまったのだ。
なぜ「お断り」したのか
小林さんはめちゃくちゃ良い人だ。しかし、栗田工業は歴史ある優良企業でもあり、たとえそれがフラクタのような骨太のベンチャー企業であっても、大口出資や事業提携までは行わないのではないかという予想があった(それが結果として、今回、非常に良い意味で裏切られることになる)。
あくまでイメージの問題なのだが、この数年、株高の影響で、日本の大企業は猫も杓子もCVC(コーポレート・ベンチャーキャピタルの略:大企業が自社の名前を冠したベンチャー投資会社を設置・運営し、関連テクノロジーベンチャーなどに投資を行うこと)の設置に乗り出しており、この中途半端な活動に辟易としていた僕は(失礼だがこれは事実だ。昨日までサラリーマンをやっていた人が、今日からベンチャーキャピタルなどできるわけないのだから)、栗田工業も同じようなものかも知れないと、勝手に思っていたのだ。
「行きはヨイヨイだけど、帰りは怖いさ」。最初に少額の出資(例えば数千万円~数億円程度)を行おうとも、その後に事業会社として買収(M&A)に乗り出すこともしなければ、またこうして最初の出資が少額であればこそ、真剣に腕まくりしてベンチャーを助けようともしない。巷(ちまた)にはこういうCVCが溢れており、僕の友人の会社も、結果としてこういうCVCに取り囲まれ、身動きが取れなくなってしまっていた。
これはこの記事のはじめに触れた日本の構造的な問題に、大企業が表面的に対応しようとした結果、起こってしまった悲劇なのだ。
僕は栗田工業の小林さんにメールを送った。
「また話しましょう。私も過去の経験で、日本企業の慣習には苦労してきましたので、最初にお伝えしておいたほうが良いと思いました。栗田工業は圧倒的にこの事業をやるべきだという意見は変わりません。早ければ早いほど良いし、波に乗り遅れてはいけない。ただし、あまりに文化的、慣習的なハードルが高すぎて、おそらく(最終的にM&Aなど、社運をかけては)やらないだろうということがこの段階で分かっていると、そんな感じです。小林さんとは個人的に接点を持っていきたいと思っていますので、引き続きよろしくお願いします」
今思えば、大変に失礼なメールなのだが、これまで何度もやり取りを繰り返してきた相手だからこそ、こういうことは、本音で話さなければならないと思ったのだ。
栗田工業は、水分野では間違いなく日本最強、また産業用水という意味では、GEやスエズ、ヴェオリアといった世界の巨大なコングロマリット(複合企業)と肩を並べて戦えるただ一つのハイテク企業だ。フラクタは水道産業に、機械学習(人工知能)という新しい技術で果敢に切り込んだ。日本の会社と事業提携をして一緒に世界を獲りに行くという意味では、栗田工業が選択肢の上位にあがるのは当然だったと言えよう。
この会社がやらなくて誰がやる? 確かにそう思った。しかしそう強く思えばこそ、だいたいにおいてベンチャーとは本格的な資本業務提携に進まない日本の大企業という性格に、僕は当時、失望と苛立ちを隠せずにいたのだ。
でも本当は、日本が
しばらくの時が流れた。僕たちが今年2月に入り、大型の資金調達に動き始めたのは、以前の記事で書いた通りだ。アメリカで、ベンチャーキャピタル、プライベートエクイティー(未上場会社への投資を専門にする投資会社)などと資金調達に関する議論を始めた一方で、僕はどうしても、「本当は、これを日本が、日本の大企業が、社運をかけてやるべきではないか」という思いが、ふつふつと湧き上がってくるのを感じていた。
時を同じくして、僕は昨年末から、投資銀行(企業の資金調達やM&Aをアドバイスしてくれる会社。その昔、銀行業務の一環で行われていたことから、投資銀行と呼ばれているものの、今では預金や為替といった銀行業務そのものを行っていないことが多い)にアクセスを始めた。水道産業という、時間軸の長い産業を生きる僕たちにとって、ベンチャーキャピタルから1年半おきに資金調達を行うことが最適解だとは思えなくなってきた自分がいたのだ。
より長期的なコミットメントの下、フラクタへの資金的、事業的サポートをしてくれるという意味で、この資金調達に関しても、事業会社に打診をする必要があるのではないかと思った。しかし僕自身、今は日本に拠点が無いことから、より効率的に日本の大企業役員(社長や専務、投資担当の役員など)にアクセスするためには、投資銀行の力を借りるのが早いと思った。
いくつもある投資銀行の中から、僕が選んだのは日本とアメリカ(サンフランシスコ)、ヨーロッパに拠点があるGCA(ジーシーエー)という投資銀行だった。これは去年、GCAのパートナーであり、GCAテクノベーションというテクノロジー関連企業専門部隊を率いる久保田さんとたまたま繋がったことがきっかけなのだが、何度も久保田さんと話をするうちに、人間的に打ち解け、僕は久保田さんと友達になったのだった。
たった一社で良い
余談だが、久保田さんもやっぱり変わっていた。だいたいにおいて、僕にいきなり連絡をくれる人、僕と話が合う人というのは、圧倒的に変わった人が多いのだが、彼は投資銀行マンであるにもかかわらず、東京で会っても、シリコンバレーのようにラフな格好をしていて(スーツを着ていないとか、ネクタイをしていないとか、そういう次元ではなくて、ニットとジーンズとか、そういうレベルだ。そもそもあの格好で東京駅周辺のビジネス街に出没すること自体がNGなレベルなのだが、ただしこれは僕からすれば褒め言葉で、人と違うということ、変わっているということは、いつも良いことなのだ。念のためだが、僕が同じ種類の人間であることは疑いがない)、仕事の話をするときには、本質的な議論以外には一切の興味を示さず、一方で真面目な議論をするとき以外はものすごく脱力していて、要は変な人なのだ。
僕はこの久保田さんと一緒なら、何かできるんじゃないかと直感し、タッグを組んで、日本の大企業に一斉にアタックをかけることに決めた。ロボットベンチャーの資金調達における過去の苦労もあり(僕がかつて、日本のベンチャーキャピタルや大企業に散々出資を断られた話をご存知の方も多いだろう。もしまだの方は、以前文藝春秋に掲載され、その後BLOGOSに転載されたこの記事を読んでもらえれば分かるはずだ)、昨年末、栗田工業の小林さんからのメールにお断りを入れてしまった僕は、日本の大企業に対する期待が持てるかどうか、正直どこか半信半疑だった。
とはいえ、これをやらないで、アメリカやヨーロッパの大企業から大口の投資を受ければ将来きっと後悔をするだろうという考えから、当たって砕けろで日本の大企業に最後の大勝負をしかける気でいた。その意味で、何事にも極めて前向きな久保田さんは、最強のパートナーだったのだ。
GCAのパートナー山本さんを仲間に加え、僕たちはフラクタに興味を持ってくれそうな大企業リストを作って、次々に日本企業にアタックした。
「アメリカではこんなことが起こっています。日本の会社が水道産業、広くインフラ産業に切り込むチャンスだと思っています。僕の会社フラクタは、素晴らしい技術を持っていますが、まだ小さい会社です。だから、大企業の皆さん、一緒にやりませんか?」と、ラブコールを送ったのだ。
ところが、案の定、対外上は「我が社はイノベーションに力を入れています!」と会社案内にデカデカと書いている会社に限って、反応は極めて薄く、電話会議、ビデオ会議、また僕が直接日本に飛んで議論をしても、将来テクノロジーの世界で何が起こるのか、面倒くさくて全く考えようともしない企業役員の人たちにたくさん会うことになった。
しかし、僕ももうそんなことは慣れっこなのだ。ヒト型ロボット企業のときには毎度ガッカリしたものだが、今回は「またか」くらいに考えて、全く気にも留めないタフな自分がそこにいた。
そう、ヒト型ロボットの時と同じだ。たった一社で良い。日本の企業で、たった一社で良いから、社運を賭けて世界で一緒に戦ってくれる会社が見つかれば、それで良いのだから。その一社以外、他の多くの会社にどんな形で断られても良い。石を投げられようが、蔑まれようが、影響はゼロだ。そう思いながら、僕と久保田さんはとにかく前を向いて進んでいった。
そうこうしているうちに、志ある何社かの日本の大企業がフラクタへの出資に向けて大きく手を挙げてくれた。山が動いたという確かな実感があった。その頃には、アメリカの投資ファンドや海外企業からも投資したいと話をもらっていたのだが、日本の企業がついに動きだしたことに、僕は喜びを隠さなかった。
理屈ではない何か
話は並行するが、3月7日、8日、9日と、僕がこの件で日本に出張したことは、以前の記事で書いた通りだ。その時は、既に関係性がある栗田工業との面会ではなく、これまで会ったことのない多くの日本企業と面会をこなしていった。
ところが、人間の縁というのは不思議なもので、ちょうどその直前の3月6日、久しぶりに、小林さんから僕にメールが届いたのだ。サンノゼから成田空港に到着するや否や、小林さんからメールが届いているのを確認した。そこには「加藤さんから以前言われた本気度について、社内できちんと話をしました。改めて、本気でフラクタと一緒にやりたいと思っています」ということが書いてあった。
久しぶりの日本で、隙間なく埋まったミーティング・スケジュールの最中、栗田工業の小林さん、中山さんと僕は、電話会議を持った。電話越しに、以前と少し違った雰囲気の小林さんを感じた。
「加藤さん、栗田工業は、ベンチャーと本格的に事業提携ができる会社です。弊社の常務(現在の伊藤代表取締役専務)とも話をしました。是非フラクタさんの、今回の資金調達に参加させてください」
僕はこう返した。
「小林さん、以前も話をしましたが、僕は栗田工業がこれをやらなきゃいけないと思っています。フラクタは、ベンチャー企業ながら、アメリカのインフラにおける人工知能競争、とりわけ水道産業における人工知能競争の中で、良い位置に付けています。とはいえ、小さい会社であるのは事実で、リソースは常に不足しています。世界の栗田がこれをやらなきゃいけないんです」
理屈ではない何かがそこにあった。
4月4日、中野駅北口
アメリカに戻った後、僕とヒロは、栗田工業新規事業推進本部の中山さん(部長)、小林さん(課長)、星野さん(課長)と一緒に、事業計画についての議論に入った。守秘義務契約を交わし、具体的にフラクタがどのような技術を持ち、どのような市場セグメントに切り込んでいるのか、詳細を明らかにしていったのだ。
前回の記事にも書いたが、他の多くの会社にも一斉に情報を開示しなければならず、3月後半はあっという間に過ぎていった。
そんな折、小林さんから連絡が入った。4月4日(水曜日)、栗田工業の経営陣に対して、ビデオ会議でプレゼンテーションを行ってもらえないか?という依頼だった。
僕は二つ返事でOKしたが、その直後に小林さんからもう一通メールが入った。
「急な話ですが、4月4日、日本にいらしていただくことは可能でしょうか?」
どうやら、栗田工業の会長、社長、専務他、多くの経営陣がこのミーティングに出席してくれるらしく、ならば直接対面して話したほうが良いのではないかという小林さんの配慮だった。
こういう時に、僕は迷いが無い。僕は月曜、火曜と入っていた全ての予定をラースさん他のメンバーに任せ、すぐさまに飛行機のチケットを取って、前日の夜に東京に入った。
1日だけの東京出張だった。4月4日当日の光景を、僕は忘れることができない。JR中野駅北口のスターバックスでGCAの久保田さんと待ち合わせると、僕たちは簡単に打ち合わせを済ませ、そこから徒歩5分ほどにある、栗田工業の本社ビルに向かった。
ラースさんは元気かい?
この日、僕は久しぶりに、興奮と緊張に包まれていた。何しろ事前情報では、栗田工業サイドの参加者は11名。こちらは僕とGCA久保田さんの2名のみだ。ロビーで緊張した面持ちの小林さんに迎えられ、エレベーターに乗って、びっくりするほど大きな会議室に案内されると、しばらくして、参加者が続々とそこに入ってきた。
まず始めに、栗田工業の飯岡会長と名刺交換をすると、「それで、ラースさんは元気にしてるのかい? アメリカっていうのは、役割と責任をきっちり分ける文化だからさ。ダグさんが入ってきて、色々と大変だろう」と話しかけられて、驚いた。飯岡会長が、この連載『サムライ経営者、アメリカを行く!』を読んでくれていたことに感激したのはもちろんだが、何より、僕がフラクタのCEOをやってきて、これまでで一番悩んだこと(ラースさんとダグの人事)を一発で見抜かれたようで、不思議な気持ちがした。
それから、門田社長、伊藤専務と、栗田工業の錚々(そうそう)たるメンバーが入室し、会議が始まった。
伊藤専務から、本件について、栗田工業が本気で検討をしていること、その意味で今回多くの関係者を集めて、僕のプレゼンテーションを聞いてくれていることについて説明があり、僕は、現在のフラクタの取り組みを紹介しつつ、また一方で、今後水道産業がどうデジタル化されていくか? なぜそれが栗田工業にとって重要だと言えるのか? について、真剣に話をしていった。
そこから、伊藤専務、門田社長を始めとして、フラクタの事業、今後の計画に対して、矢のような質問があり、僕は一生懸命それに答えていった。
サムライの系譜
僕がそうして質問に答える中で、特に強く印象に残ったことは、この会社は単なるメーカーではないのではないかということだ。特に会長、社長、専務の3人は、大企業の雇われ役員といった感じが全くせず、各々がこれまで世界を切り拓いてきた実業家といった風貌、眼差しをしていた。覚悟を決めた3人のサムライの姿といったところだろうか。伊藤専務の眼光の鋭さは特筆すべきで、僕からすると「こりゃ正直なことしか言えないな」といった感じで、なんでこんな日本企業が世の中に存在するのか、不思議に思うと同時に、こういう人たちが、人知れず日本を支えていたのだと、胸が熱くなった。
僕は、このミーティングに招いていただいたことにお礼を述べ、東京を後にした。
急いでアメリカに戻り、栗田工業他からのデュー・デリジェンス(フラクタへの投資に関する調査・監査業務)に対応している途中、小林さんと電話をした折に、栗田工業の創業ストーリーが小説になっているという話を聞いた。僕はそこに何かのヒントがあるような気がして、電子書籍リーダーのAmazon Kindleで、小林さんから案内された、『打出小槌町一番地(城山三郎著)』(短編4部が入っているが、栗田工業の創業者、栗田春生が描かれているのは第2部の「前途洋々」)を2日で読み終えた。
小説を読みながら、これか(!)と思い、4月4日の不思議な光景がまた頭に浮かんだ。小説には、ハチャメチャに苛烈な創業経営者、20世紀という時代を走り抜いたサムライの姿が生き生きと描かれていた。また面白いことに、その創業者の姿に、僕は自分の姿を重ねていたのだ。
この小説を読み進むごとに、「この人は、ある意味で、ずいぶんと自分に似ているな」と思った。情熱先行、決して後ろを振り返らず、ひたすらに前進を続けようとする人間の姿に、僕は惹かれた。一方で、常に孤独と共にある、従業員の生活を背負った真の経営者の姿に、僕は共感した。
なるほど、この創業者の精神が、現在の栗田工業の経営陣の風貌、眼差しに引き継がれているのに違いない。そこらへんの電気メーカーのお気楽サラリーマン役員とは全く違った彼らの眼差し、意を決した発言は、間違いなく信用できた。多くの会社が、この資金調達(結果としてM&Aになったが)に参加を表明し、時として逡巡したものの、栗田工業だけは一度も後ろを振り返らなかった。
それはかつてGoogleという会社、僕と交渉をしたAndroidの生みの親、アンディー・ルービンに見た潔さと等しい感じがした。日本企業にこうした意思決定ができるなら、日本の将来はきっと明るいに違いない。また、こういう意思決定をしてくれた企業に対し、僕はまた背水の陣を張って、栗田工業と一緒に、人生を賭けてフラクタを成長させてみようと思った。
ラースさんにその話をすると、「加藤さん、それは素晴らしいじゃないか。資本業務提携は、栗田工業で決まりだ!」と言った。
この人の明るさに助けられて、ここまで来た。書きたいことは山ほどあるが、これにてサムライ経営者の第1章は幕を閉じよう。2018年6月からはサムライ経営者の第2章の始まりだ。さあ、また忙しくなるぞ、やることがたくさんだ。
弁護士事務所にて。今回も弁護士のナンシーさん、エリックが助けてくれました。アメリカのM&Aはサインする書類が山のようにあります
CTOの吉川君と前祝いにやってきました。彼の苦労が、今回の件でも高く評価されました
本件をフラクタサイドで決裁した取締役会後にラースさんとパチリ。ラースさん、一緒に全力で走ってくれてありがとう。これからもよろしく
毎回、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいている。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
契約関連の作業で疲れたヒロに、近所のスーパーでダイエットコーラ300缶とモンスターエナジー1ケースの差し入れを。エネルギーを充填して、さらに僕たちは加速します
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