4月中旬から下旬にかけて、僕は資金調達の活動に忙殺されることになった。
スタートアップのCEOにとって、創業から数年間は、必要最小限の資金を使いつつ、製品・サービスのアイデアを構想し、これまた必要最小限のチームを形成して、トライ・アンド・エラーを繰り返しながら、それを市場でテストしていくことになる。1年半から2年おきに資金を調達しながら前に進むことになるのだが、資金が枯渇すれば、その段階で会社としては死を迎えるという極めて厳しい世界だ。
自ずからスタートアップの生命線となる資金調達業務は、急激な成長が求められるハイテク・スタートアップのCEOにとって、最も重要な業務の一つになるのであり(何しろ製品や事業、はたまた市場の反応といったことが全部理解できていないと、投資家と話はできないのだから)、一回の資金調達に約4~6カ月くらいかけなければならないことを考えると、見方によっては、CEOは年がら年中、資金調達に奔走しているということになる。
資金調達に走り回る途中、疲れて寄ったパロアルトの街並みです
一方で、機能分化が進むシリコンバレーにあって、この資金調達業務の他に、CEOがとりわけ時間を使わなければいけない業務は、エグゼクティブ(幹部)の採用ということになるだろう。フラクタの営業とマーケティングの責任者であるダグを採用するのに、どれだけ僕が時間をエネルギーを使ったかを(過去の記事で)見ていただければ、きっとそれが分かってもらえるはずだ(その結果として、フラクタがどれだけ一気に前進することができたかということを考えるとき、幹部採用というものがまた企業の生命線のうち、大きな一つであることが理解できる)。
デュー・デリジェンス with ヒロ
さて、時間をかけて一つひとつの会社をドアノックし、最終的にはアメリカ、アジア(日本)、ヨーロッパで、多くの投資ファンド、会社に興味を持ってもらうことができた僕たちだったが、こうした投資家たちに対して、投資を判断してもらうための基本的な情報を公開していかなければならず(これをファイナンスの世界ではデュー・デリジェンス [投資家による企業監査のこと] と呼んでいる)、これが事業計画など、既に手元にある資料の提出のみならず、電話やビデオ会議を使っての経営者インタビューであったり、実際のファンド担当者からのオフィス訪問であったりすることから、結構時間が取られるのだ。
これまでフラクタを陰に日向に助けてくれていた日本人ヒロを、この春から正社員として迎え(ヒロはそれまで、フラクタとコンサルタント契約を結んでいた)、僕とヒロを中心にデュー・デリジェンスに対応していく。どういう製品を作り、どうやって市場に広めるかについての戦略を担当するヒロに、思い切って管理の仕事(経理や財務、その他諸々)も任せることにしたので、彼も大忙しだ。
日常業務にキャッチアップしながら投資家対応をやっていく。週7日勤務で、睡眠時間もろくに取れないヒロに対して僕ができることがあるとすれば、たまに夕飯をご馳走してあげることくらいだ(この間は、外国人が経営しているお寿司屋さんで、ちらし寿司をご馳走した)。
「仕事の報酬は、仕事だ」
ところがどうだろう、ヒロの口から出てくる言葉といえば、「久しぶりにこんなに仕事をして、楽しくて仕方ないです。ありがとうございます」なのだ。「ありがとう」と感謝したいのはこちらのほうなのだが、どうにもこうにも、順序が逆になっている。日本人の中には、まだこうして宝の原石のような人たちが眠っている。
かつてソニーの創業者、井深大さんが言った「仕事の報酬は、仕事だよ」という言葉があるが、まさにそれに近い感覚があるだろう。いつの時代も、若くして情熱を傾けられる仕事に巡り会った人たちは、強いのだ。自分が行う一つひとつの仕事が、フラクタという会社を前に進めていく。フラクタという会社には、水道産業を根底から変えてしまうような技術があり、この会社を前に進めるということは、すなわち世界をより良い方向に前進させることに繋がっている。
この感覚に疑いがないとき、一人ひとりのフラクタのチームメンバーの中に、ある種の使命感のようなものが芽生える。一方で、ヒロには会社の所有権であるストック・オプションが配られ、その意味で、ヒロはまたフラクタの部分的所有者(オーナー)でもあるのだ。ヒロのような人間と一緒に仕事ができて、僕は幸せだ。
またなのか、ユナイテッド…
そうこうしているうちにも、営業に進捗が見られたとダグから連絡が入った。
「加藤さん、4月19日に、テキサス州の営業に一緒に同行してくれないか。ドンが提案している一つの大きな水道会社があり、話が前に進みそうだから、CEOを連れてトップ営業という形にしたいと思っているんだ」
前後に予定が詰まっている週だったが、ダグの熱烈な誘いを断る気には、とてもなれない。
「ダグ、もちろんだよ。一緒に行って、営業を決めてこよう」
4月16日、17日とRedwood Cityのオフィスに来て仕事をしていたダグと、4月18日の午後、テキサス州に向けて出発した。
ところが(正直、もういい加減、慣れっこではあるのだが)、ユナイテッド航空から直前に連絡が入り、フライトに遅延があって、今日中には現地に到着することができないということが知らされた。サンフランシスコ空港のカウンターで、ダグが間に入って交渉してくれ、テキサス州のオースティン空港までその日のうちに飛ぶことができる別便に振り替えをお願いし、現地にはオースティンからレンタカーで向かうことになった。
いざ、テキサス出張。ダグと一緒にようやく空港に着きました
夜9時頃、テキサス州はオースティン空港に到着すると、テキサス州周辺5州の営業テリトリー担当であるドンがレンタカーを借りて待っていてくれた。
「やあ、加藤さん、元気かい。久しぶりだなあ。会えて嬉しいよ。さあ、乗ってくれ。目的地まではかなり道のりがある。先を急ごう」
相変わらずの大きな身体に、満面の笑みをたたえたドンがそこにいた。僕たちはひとしきり冗談を言い合ったりして時間を過ごすと、車内のスピーカーフォンから製品担当のマティーに電話を掛けた。
レンタカーで夜の高速道路をひた走りながら、マティーと電話会議を
電話会議 with マティー
前週には今回営業に向かう水道会社と守秘義務契約を取り交わしており、僕たちは彼らの上水道配管に関する基礎的なデータを預かっていた。そして、マティーはこの営業の2日前の月曜日(4月16日)に、フーリオやダグと一緒に夜を徹して、今回営業に向かう水道会社のパイプデータを分析してくれていたのだ。先方とのディスカッションは翌日。この水道会社の配管がどのような状況にあり、具体的に僕たちとしてどんな提案ができるのかということをマティーは資料にまとめてくれていた。
スピーカーフォンで、マティーに電話が繋がる。
「マティー、調子はどうだい? こっちはやっとテキサス州のオースティンに到着して、今レンタカーで現地に向かっているよ」
「やあ皆、こっちは順調だよ。さあ、夜も遅いことだし、電話会議を始めよう。まず、この水道会社のデータの特徴は◯◯というところにあって、分析結果としては、今のところ非常に良好だ」
「素晴らしい。それで結局、何年分のデータをもらって、どこまで分析が終わっているのか、簡単に説明してくれないか?」
「ああ、先方からは◯◯年分のデータを預かっている。この段階で分析が終わっているのは◯◯年分だ。先方はこれまで水道管路の更新計画を立てたことが無いけれど、議会では、今年から計画を立てて、順序立ててこの問題に向き合っていくという話になっているようだ」
「なるほど、それで、最終的な分析結果については、チャートにまとめてあるのかい?」
「ああ、そこは安心してくれ。資料についてはもう少し整理が必要だけれど、明日の朝までには修正した最終版を送ることにするよ」
電話会議は30分くらいで終わったが、こうして地理的に同じ場所にはいないチームメンバーが、電話やメールを駆使して仕事を前に進めていくのが、アメリカ流といったところだろう。
メキシコ料理 with ドン
レンタカーで高速道路を長い間走り、やがて僕たちは深夜になって現地のホテルに到着した。荷物を部屋に置き、ホテルのフロントで夜中でも空いているというメキシコ料理のレストランを案内されると、僕たちはタクシーで5分ほどの場所にあるレストランに向かった。テキサス州は少し南に下るだけで、メキシコに入るという、アメリカとメキシコの国境にある州だ。自ずからメキシコの文化とアメリカの文化が混ざりあったようなところがあり、美味しいメキシコ料理店がたくさんあるのだそうだ。
これまでどんな国でも見たことのないような、きらびやかな(イメージとしては「ギンギンギラギラ」といった感じだろうか)装飾に彩られた店内に入り、僕たちがテーブルにつくと、早速マリアッチ(メキシコ特有のギターの弾き語り演奏)のバンドマンたちが僕たちのテーブルを取り囲んだ。心ばかりのチップを払い、景気づけに歌を歌ってもらうと、最後には「ようこそテキサスへ」と喜ばしい歓迎を受けた。
ドンがメキシコ料理のメニューを手にとって、お薦めの料理を僕に紹介してくれる。
「加藤さん、これはこういう料理で、本当に美味しいんだ。是非食べてもらいたいね」「いや、ちょっと待てよ、こっちも良いんだよ。これは最高だね。これを頼むと良いよ」「それとね、このデザートが、甘くてとってもお薦めなんだよ。ショートケーキみたいなもんでさ、イチゴが乗っかっていて、生クリームがたくさんで、食べるとこ~んな風に、幸せな気持ちになるんだ」……
身体は大きいものの、無邪気な少年のように笑うドンを見て、僕は何だかしんみりと嬉しくなった。こういう一人ひとりが、フラクタという会社を信じて、僕を信じて、こうして冒険に参加してくれているのだ。
彼はスタンフォード大学の卒業生ではないかも知れない。ハーバード大学の卒業生ではないかも知れない。ただし、そんなことはどうでも良いのだ。フラクタに入社するとき、「加藤さん、フラクタの製品はすごいよ。ずっと、こんな面白い製品を待ってたんだ。こういうものを思いっきり売ってみたいと思っていたんだ」と、電話で無邪気に話したドンのことを、僕は思い出していた。
こういう人が幸せにならなければいけない。こういう人が豊かにならなければいけない。僕はもう、ものすごくやる気になっていた。よし、もっともっと良い製品を作って、アメリカ中で売りまくってやろう。歩合制の営業マンであるドンを、きっと大金持ちにするんだ。僕はそう心に誓った。
トップ営業 with ダグ
翌朝早く、僕たちはホテルのレストラン(朝食会場)に集合し、その日の営業に関する役割分担を整理しながら、資料の最終チェックを行っていった。
テキサス州はカリフォルニア州との間に2時間の時差があるため(テキサス州の朝7時は、カリフォルニア州の朝5時なのだ)、朝はどうしてもグッと早起きした感じになる。眠気を覚ますため、相変わらずコーヒーを4杯連続でがぶ飲みし(さすがに牛乳もたくさん入れたから、カフェインは3杯分くらいだ)、朝からハイテンションで議論を行った。そして、カリフォルニアで朝からスタンバってくれていたマティーに僕たちは朝からしつこく質問し、プレゼンテーション資料の細かい点を整えることができた。
水道会社との約束の時間30分前になると、僕たちはレンタカーに飛び乗り、水道会社の本社ビルに向かった。受付を済ませると、通されたミーティングルームには、既に8人ほどの参加者が着席しており、なるほどこれから重要なミーティングが始まることが感じ取れた。
フラクタ製品の営業に関して面白いところが一つあるとすると、それは、先方の参加者が非常に多いことだ。水道配管の更新は、アメリカ全体で社会問題化しており、それを思い切って解決することができるソフトウェアを売りに来た、となると、水道会社の中でも多くの人が興味を持ってくれる証拠だろう。
結論から言えば、1時間半のミーティングはすこぶる上手くいき、あっという間に時間が過ぎ去ってしまった。主にダグがプレゼンテーションをリードしてくれたのだが、それ以前に、ドンがこの水道会社を何度も訪問し、しっかりと場を整えておいてくれたためか、非常に好意的な意見が多かった。きちんと仕事をしてくれている2人のおかげで、僕は本当に文字通りの「トップ営業」ということで、しっかりと方々にご挨拶をしつつ、多少技術的なところを説明するくらいでミーティングを無事終えることができる。
それにしても、このダグという人は、隣りに座って話を聞いていて、とにかく頭が良いなと思うことがある。頭の中で話すことがきちんとまとまっていて(何だかタンスの引き出しに、これから話すことが整理整頓されてしまわれているようなイメージだ)、おまけに性格が真面目だから、プレゼンテーションにしろ雑誌の取材にしろ、一つひとつ準備に余念がない。
5月初旬に雑誌のインタビューがあった際も、フラクタの会社概要から製品の特徴まで、まさになにか落語のCDでも聞いているかのように、端から端まで淀みなく話をする様には、本当に驚いてしまった。ダグに任せておくと、だいたいのことが上手くいく。抜群の安定感と安心感。おまけに本人は元アメフト選手で運動神経も抜群ときていて、息子さんは陸上競技のオリンピック候補選手だというのだから、何とも神様は不平等だなと思いつつ、とはいえ本人の努力の量はそれを説明して余りあるので、本当にすごい人だと思う。
兎にも角にも、こんな感じで、ダグとドンに助けられ、僕たちは営業を大きく一歩前に進めて、水道会社を後にした。
ミーティングを終え、良い手応えに笑顔がこぼれる営業チームであります
テキサスを飛び立った機上からの眺め。僕たちも上昇気流に乗ってさらに高く
刺さり始めている!
5月11日には、記念すべき年間契約の2本目が決まった。もちろんフラクタは全員で大盛り上がり、何か少しずつ営業に運動量が出てきたような気がして、僕はとても嬉しかった。
少しずつ、少しずつ、フラクタが前進している。僕たちは、世界でまだ誰も見たことがないものを創り、売っている。水道会社、水道産業がこれを全面的に認知するまでには当然たくさんの時間がかかるだろう。
しかし、この問題で本当に困っていた人たち、アメリカのどこかの水道会社の中にいる、この問題を心から解決したいと望んでいる人たち(こういう人たちを、マーケティングの世界では「アーリー・アダプター [つまり、最初に製品を使ってくれる人という意味]」と呼んでいる)に、僕たちの製品コンセプトが刺さり始めていた。
先月くらいから、何か潮目のようなものが変わった気がしている。思い過ごしかも知れないが、僕たちの会社、フラクタという飛行機は、長い長い滑走路を勢いよく走り抜け、その勢いに比例した揚力のようなものを使って、離陸し始めているのかも知れない。毎日資金調達に明け暮れながら、僕は来るべきフラクタの未来に大きな大きな希望を抱いていた。
前回も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
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