声を大にして叫びたいが、日本はアメリカの劣化コピーではない。アメリカで流行っているものを、ダウンスケール(小さく)して日本で流行らせるなんて、もう懲り懲りだ。日本から輸出できるハイテク技術といえば、色々とあるかも知れないが、何よりロボット技術が分かりやすいだろう。

 1社目のロボットベンチャーで僕がそうしたように、ロボット技術というもの、とりわけ陳腐なハードウェアに優秀なソフトウェアを載せたくらいでは解決できない問題に関しては、それこそ何十年という経験に裏打ちされた巧みな機械設計とすり合わせ的改善によって問題に直接アプローチした場合のほうが、問題解決が相当程度容易になるのだ。もちろんひとたびハードウェアを固めたならば、その後にソフトウェアが活躍する土壌はまた大変残っているが、そのソフトウェアを載せるにしても、この日本のハードウェア技術を基礎にした方が、考え方が楽になると僕は信じている。

ラース副社長がやってきた

 去年の夏、シリコンバレー(サンフランシスコ・ベイエリア)にアメリカ法人を立ち上げると決めてから、まず最初に副社長を採用した。SCHAFTで一緒に戦ったTomyK(ベンチャーの立ち上げと成長を二人三脚で支援するという意味を込めて、スタートアップブースターと呼ばれている。エンジェル投資とインキュベーションの中間的な会社だ)の鎌田富久さんが以前一緒に働いていたことがあり、かつ「加藤さんと気が合うんじゃないか」と紹介してくれたのが、ラース(Lars)さんだ。

ラース副社長と一緒に、アメリカ法人を始動した
ラース副社長と一緒に、アメリカ法人を始動した

 最初に彼に会ったのはオークランド近郊の水辺にあるメキシコ料理店だった。ランチを一緒に食べようと待ち合わせをして、僕たちは席についた。しかし、彼の輝くばかりの眼差しと、その人柄を見るやいなや、「とにかく僕と一緒にアメリカ法人の立ち上げをやってくれませんか?」と僕は猛烈にプッシュしたのだ。

 相変わらず自分は何を考えているのだろうかと思ってしまった。会って間もないのに。しかし、ここではそれが通用するのだ。なんと彼は、翌日に仕事を辞める決意をしてくれた。ラースさんが前職に関する諸々の引き継ぎを終えると、僕達はサンノゼ空港からほど近いエリアにオフィスを借り、ラースさんが10月1日から正式にアメリカ法人の事業開発担当副社長に就任すると、僕たちはアメリカ法人のオペレーションをスタートした。

 ずっとシリコンバレーで活躍してきた彼は、ハードディスクに始まり、携帯端末用のOS(オペレーティングシステム)、VoIP、スーパーコンピュータと、ハイテク業界を渡り歩いてきた事業開発の天才だ。僕たちは、毎日一緒に汗を流し、知恵を出して働いている。彼は家族を愛する、大の野球ファン。日々、彼との仕事の中に、僕は情熱を見出している。何しろ彼の仕事に対する情熱、直感、何もかもが新鮮で、また素晴らしいのだ。この連載の中で、僕は彼の仕事のやり方について多くを語ることになるだろう。

サンノゼ空港からほど近いオフィス。ここからすべてが始まる
サンノゼ空港からほど近いオフィス。ここからすべてが始まる

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