3月10日の週は大忙しだった。Imagine H2O(イマジン・エイチ・トゥー・オー)という、水道産業のイノベーションに特化した団体が発表する「世界の水道業界で最もイノベーティブなスタートアップ」を決めるコンテストがあり、僕たちフラクタはその最終選考(12社)まで残っていたためだ。応募企業は206社。その中から12社まで残ったことに、フラクタチーム一同は興奮していた。
Imagine H2Oは、最終選考に残った会社たちに対して、向こう1年間にわたって営業やマーケティング、資金調達など、水道産業でベンチャー企業を成長させるためのサポートを無償で提供してくれる(なぜ無償でこのような支援が得られるかというと、ペプシコやウェルス・ファーゴ銀行など、水の将来に関心がある大企業たちがこの団体を強力にサポートしているためだ)。その手始めに、3月10日(日曜日)から始まる1週間にわたって、サンフランシスコで行われる各種イベントに僕たちは招待されていた。
最終選考12社が問われる「本当に本当なのか」
日曜にはキックオフのレセプション(パーティー)がサンフランシスコ中心部で開催され、僕は夕方、着慣れないジャケットを着用してタクシーで現地に向かった。
パーティーに招待された12社は、さすが最終選考に選ばれただけあって、どの会社もユニークな価値を持っていた。
「スマートメーター」と呼ばれる検針のいらない水道メーターを、競争相手の半分のコストで作っている会社、人工衛星画像を解析して洪水の発生を予測する会社、魚のようなデバイスが水道配管を泳いでいきその状態を内側から測定する会社など、水道産業の中で、テクノロジーを使った会社のCEOたちと話をすることは楽しく、ビールやワインを片手に、彼ら彼女たちと、最終選考に残った喜びを分かち合った。
3月13日には、投資家と話をすることができるセッションがあり、Googleの投資部門他、何社かのベンチャーキャピタルに対してフラクタの事業を積極的に紹介する機会を得た。
面白かったのは、どのベンチャーキャピタルも、最初は「水道産業におけるテクノロジーの変化はさほど大きくなく、スタートアップといえども、それほど大きな(産業全体を揺るがすほどの)プランは出てこないのではないか?」という前提で話を聞き始めるものの、ものの20分もしないうちに、どんどん前のめりになり、最後には「本当にそんなことができるのか?」「本当に本当なのか?」と確認をしてくることだった。
そう、本当なのだ。僕たちが機械学習(人工知能)を使ってこの数年で水道産業にもたらす変化は、水道産業がこの数十年をかけて経てきた変化以上に大きくなるのだから。
しかし、この一週間におけるイベントの集大成は、何といっても、3月14日の夜にこれまたサンフランシスコ中心部のパーティー会場を貸し切って行われる、世界中の水道産業関係者を数百名集めてのパーティーだろう。ここで、最終選考に残った会社のうち、優勝(1位)、準優勝(2位)が発表されることになっており、当日になると、関係者がやや緊張した面持ちで会場入りしていた。僕たちフラクタチームも、夕方には、自分たちの会社が「もしかしたら優勝、準優勝に選ばれるかも知れない」と淡い期待を抱きながら、会場に足を運んだ。
Imagine H2Oイベント会場、大盛況です(写真:Nick Otto)
ラースさんが獲った! 初の年間契約
ところが、そんな緊張感とは裏腹に、相乗りのすし詰めタクシーで会場に入る前から、僕たちは既にある種の興奮状態、もっと言えば「無敵感」に包まれていた。なぜかと言うと、この日、僕たちは会社として既に大きな成果を一つ握りしめていたからだ。
ちょうどこの日、ある水道会社がトライアルやパイロット(つまりお試し)としてではなく、正規の年間ソフトウェア利用権を購入してくれたのだ。パイロット以外の売り上げは、フラクタにとって初めてであり、何よりこの営業を決めてきたのが、創業以来ずっと奮闘を続けてきたラースさんだったということに、チーム全体が興奮していたのだ。
この日の午後、ラースさんが僕の席にやってきて、おもむろにこう言った。
「加藤さん、このペーパーにサインしてくれないか?」
「もちろん。でも、何のペーパーだろう? わあ、これ、年間のソフトウェア利用契約と書いてあるじゃないか(!)」
「ああ、加藤さん、これがフラクタ最初の年間契約だ」
昔から、ラースさんに関しては、一事が万事こんな感じだった。ラースさんという人の中には、ある種の美学があり、こういうイベントの日に合わせて、日本人的に言えば「粋(いき)な 計(はか)らい」をやってくれる。ラースさんがその水道会社と最初に面会してからたった3週間で年間のソフトウェア利用契約にこぎ着けたことは、水道産業という長い営業サイクルを想定して生きるフラクタの営業チームにとって、大きな大きな励みになった。
2月に営業人員を一気に4名体制に増やし、しっかりと一つひとつの水道会社を訪ねて回る営業方式にしてから、いきなりこうした成果が出たことに、僕たちは安堵した。以前、『無敵の仕事術』(文春新書)にも書いたことがあるが、こうした想像と現実とのギャップに僕たちは高揚し、実際にやったら意外と上手くいってしまったという感覚が、僕たちにまた得も言われぬ「無敵感」を与えていたのだ。
初の年間ソフトウェア利用契約を受注! 喜ぶ僕とラースさんであります
さて、そんな「無敵感」に包まれた僕たちだったが、ミラーボールが回転するナイトクラブのような会場に入ると、主催者から振る舞われるビールやワインを片手に、会場に足を運んだ人たちと会話を楽しんだ。最終選考に残った12社にはそれぞれ小さなテーブルが提供され、たとえばそれがフラクタのテーブルだったら、フラクタと話をしたい水道業界関係者がそこを訪れる、という仕組みができあがっていた(さながらマッチング・サービスのようだが、主催者はそれを意図しているのだろう)。ビジネスの話をしていても、一方でそこはお酒の席でもあり、少しくだけた感じで話ができるので、僕たちにとっても好都合だった。
僕がフラクタのテーブルで色んな人たちと話をしていると、向こうから、どこかで見覚えのある、目鼻立ちのくっきりとした女性が近づいてきた。非常に上品なホワイトのスーツに身を包み、その雰囲気からして明らかにアメリカ人には見えない彼女は、ヨーロッパに本社を置く巨大な会社でイノベーション担当の役員を務めていたはずだ。ずいぶんと前からフラクタの事業を高く評価してくれており、展示会などで何度か話をしたことがあった。
「どうも、お久しぶりです。お元気ですか?」
「ええ、もちろん。最終選考まで残っているそうね。フラクタの躍進には目を見張るものがあるわ。水道産業にいる他のテクノロジー企業と比べても、差が歴然だもの。いつも応援しています」
「はい、事業は思ったよりも順調で、おまけにこうして最終選考にまで残って、ありがたい限りですよ」
「フラクタが今やっていることは、水道産業にとって、とても重要なことだと思うわ。フラクタはとても正しいことをやっている。あなたたちの言う通り、きっとデジタル技術が水道産業を変えていくことになるのよ」
彼女はいかにフラクタが素晴らしい技術を持ったベンチャー企業であるか、心の底から納得している様子だった。また、お酒の勢いもあるのか、以前よりもさらに前向きな発言の数々に、僕は最初少し驚いた。
「ええ、間違いないですよ。水道産業におけるデジタル化の流れは、今後もっとずっと加速していくことになると思います。大きな会社もそろそろ動き出す必要があると思いますよ」
「そう、変化のスピードが、私たち大企業の課題ね。イノベーション担当の役員としては、大きな組織をどうやってイノベーションに向けて動かしていくか、いつも悩んでいるところよ」
「ええ、お気持ちはよく分かりますよ。大企業の方たちは皆、悩んでいるところは同じでしょうから」
「次の資金調達はいつかしら?」
「ところで、一つ、フラクタのCEOであるあなたにずっと聞いてみたいと思っていたことがあるの。フラクタの役員、従業員は素晴らしい人たちばかり。どうやってこんなに突出して才能のある人たちを一つの会社の中に集めて働かせることができるのかしら? 少しでもいいから、その秘密を覗いてみたいわ」
簡単な質問だと思い、僕は、間髪入れずにそれに答えた。
「それは、働かせなければいけない人たちを雇わないことですよ。フラクタには、何のルールもありません。みんなこれを仕事だと思っていないと思います。世界最大の問題の一つを解くために、毎日会社に来ている。今は水道インフラの問題ですが、それが解けたら、ガス、光ファイバーケーブル、鉄道、どんどん新しい問題を解いていきます。楽しいからです。それがエンジニアであれ、マーケティング担当であれ、好きだから会社に来ていると思います。朝なんとなく9時頃に会社に来るのは、強制されてそうしているんじゃなくて、その頃に来れば多くのメンバーと会うことができて、便利だからだと思います」
彼女からため息が漏れた。
「なんて素晴らしい話なんでしょう。うちの社員にも聞かせてあげたいわ」
グローバル企業として「デジタル・トランスフォーメーション(ビジネス全体のデジタル化)」という言葉を掲げてしばらく、なかなか動き出さない社内のイノベーション部隊を横目に、シリコンバレーのちっぽけな会社フラクタがこの短期間に成し遂げたことの大きさを見ることで、彼女の中に焦燥感のようなものが生まれたであろうことが見て取れた。
「ちょっと話は変わるけれど、フラクタの次の資金調達はいつかしら? 我々の会社から資金を受け入れるということを検討してもらえないかと思っているの」
「そうですね、次の資金調達に向けて、僕たちもそろそろ動き始めます。御社にも声をかけることは可能ですから、また話をしましょう」
「ありがとう。おかしな話に聞こえるかも知れないけれど……たとえば、このタイミングで会社を売却することを考えることもできるのかしら? ほら、あなたは以前Googleに会社を売却しているでしょう。ちょっと興味があって聞いているだけなのよ、でも、たとえばの話……」
「その昔、確かにGoogleに会社は売却しましたが、このタイミングでフラクタを売却しようとは考えていませんよ。ただし、このタイミングでベンチャーキャピタルからお金を入れるのではなく、大きな事業会社と組むことは十分に考えられます。この事業は大きくなるはずですが、僕たちに足りない部分を、大企業に補完してもらえたらと思うことはありますから」
「たとえばフラクタと私たちのような大企業が組む場合、文化的に何かハードルになるようなところはあるかしら?」
「フラクタは面白い会社です。アメリカのシリコンバレーに本拠地を置きながら、本当に多様なメンバーが活き活きと仕事をしています。日本を含めたアジアだけではなく、ヨーロッパの文化、北米、南米やアフリカの文化も自然と会社の中に埋め込まれています。アメリカの極端に力強いカルチャーではなく、非常にバランスの取れた、小さいながらもある意味で本当にグローバルな会社なのかも知れません。文化的なやり辛さは無いと思いますよ」
そう話しながら、僕は嬉しくなった。そうか、フラクタというのは確かにそういう会社だな。最初からそんな会社を作ろうと思っていたわけではなく、それは勝手にできあがったのだ。しかし、会社というものが、そのCEOの哲学や人生観を多分に反映するものであるならば、男女文化の差別無い僕という人間が作った会社は、自ずからそのようになっていくのだなという意味で、何だか嬉しくなったのだ。短い時間ながら、とても興味深い会話を交わした僕たちは、後日連絡を取り合おうと約束して別れた。
心地よい緊張感と興奮と
そうこうしているうちに、会場でメインイベントである表彰式が始まるというアナウンスが聞こえた。フラクタのマーケティング責任者として、このイベントに大きな期待を寄せていたダグが、緊張した面持ちで正面の大型ディスプレイを眺めている。聞けば、発表の仕組みとしては、最終選考に残った12社の名前が次々と呼ばれていき、最後に呼ばれた会社が優勝ということのようだった(下から上に、順番に発表していくのだ)。
「皆さん、お待たせいたしました。え~、それでは今年の最終選考に残った12社を発表します。最後に呼ばれた会社が優勝、最後から2番目に呼ばれた会社が準優勝ですので、お楽しみに。まずは……」
Imagine H2Oの司会者が最初の会社の名前を読み上げる。何しろここはアメリカだ。それがグラミー賞にしろ、アカデミー賞にしろ、この手の話に関する演出は見事なもので、会場に心地よい緊張感と興奮が走る。1社目、2社目、僕たちの会社フラクタの名前は呼ばれない。3社目、4社目、まだ呼ばれない。5社目、6社目……呼ばれない。
あっという間に半分の会社が呼ばれてしまった。世界12位から7位となった会社が次々と壇上に上がり、主催者と握手を交わす。どの会社のCEOも笑顔で嬉しそうだ。待てよ、フラクタに優勝、準優勝になる可能性があるのだろうか? ちょっとした期待感が頭をよぎった。
ダグは少し緊張しながらも自信満々で、僕とラースさんに「まだまだフラクタは呼ばれない。最後まで呼ばれないんだから、創業者の2人と俺たちはもっと前に行かなきゃダメだ」と言って、会場の後ろのほうでぼんやりと発表を見つめていた僕とラースさんの背中を押して、人だかりの中をどんどん前に進ませた。
7社目、8社目、僕たちの名前はまだ呼ばれない。この頃になると、ラースさんがその日に取ってきた営業の「無敵感」も相まって、「ひょっとしたらフラクタは優勝するんじゃないか」という根拠の無い自信のようなものが渦巻いてきた。フラクタのチームも否が応にも盛り上がってくる。
まるで部活動だ!
「それではご紹介しましょう。残り4社です。皆さん、残り4社ですよ。9番目にご紹介する会社は……」。呼ばれない。僕たちの会社の名前が、全然呼ばれないぞ(!)。僕とラースさんは、ここまで来ると徐々に緊張してきてしまったが、ダグや吉川君は大興奮状態だ。「206社中、トップ3社に入ったぞ。優勝するかも知れない!」。ダグが興奮状態で叫んだ。
「皆さんご注目ください、それでは準優勝の発表に移りたいと思います。今年のImagine H2Oのイベントで、世界206社から準優勝に選ばれた会社は2社あります……1社目は、イー・ウォーター・ペイ社です!」
僕たちのフラクタは呼ばれなかった。こんな状況になると、もしかすると、フラクタ自体が忘れられている可能性もあるんじゃないかという気さえしてくる。主催者サイドがフラクタをすっ飛ばして審査をしてしまったんじゃないかとか、色々な考えが思い浮かぶものなのだ。
「準優勝に選ばれた会社の2社目の紹介に移りましょう。その会社は……」。会場に一瞬の沈黙が訪れ、参加者がアナウンスメントに集中する。
「…………フラクタです!」
「ワーオ!!!」「やったぞ!!!」。僕たちは口々に驚きの言葉を発した。
水道業界第2位のイノベーティブな会社に選ばれた! 歓喜する僕とダグであります
ラースさんと僕、ダグの3人が急いで壇上に向かい、準優勝の盾をもらい、主催者と握手をした。世界から集まった水道産業のイノベーションイベントで、206社中、同列2位だって(!)。何だか、できすぎじゃないか。優勝はできなかったけれど、こうしてチームとして表彰されたことに、僕たちは喜びと興奮を隠さなかった。
壇上から会場に降りると、僕たちチームは抱き合い、言語とも奇声とも言える言葉を交換し合った。その後は、しばらく会場に残り、ビールやワインを飲んで、語った。まるで学生、まるで部活動だ。ベンチャーはこうでなくっちゃ。僕たちは興奮に包まれながら、サンフランシスコの会場を後にした。
3月と4月前半は、これ以外にも多くの出来事があった(テキサス州で新しいパイロット・プロジェクトが受注されたり、何社かの日本企業と面会をしたり、フラクタがどうやって人工知能を水道産業に持ち込んだかという話、また僕の取材コメントがGlobal Water Intelligenceという業界紙で大きく紹介されたりした)が、またそれは機会があれば書くことにしよう。
前回も、色々な読者の方から応援のメッセージをいただいた。本当に嬉しい限りだ。読者の方々からの応援メッセージには、全てに目を通すようにしている。応援メッセージなどは、この記事のコメント欄に送ってもらえれば、とても嬉しい。公開・非公開の指定にかかわらず、目を通します。
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