情熱を抱え集う7人の旅、この道程に価値がある
世界を変えるためのジェットコースターで、いざ行かん
1月も中旬に入ると、だんだんとまた強烈な忙しさが戻ってきた。
アメリカの地中に張り巡らされた巨大な上水道配管システム。このシステムの中で、5年以内にどの部分の交換が必要なのか、ある程度正確に予測することができれば、そこに大きな経済価値が宿る。何しろアメリカでは、2050年までに100兆円分の水道配管を交換しなければならないのだ。
僕と副社長のラースさんで、それを考えに考えて、調査して、実際のお客さん候補と話をしながら、技術的にはこうやれば実現できるというところまで話を持ってきた。ロボットというハードウェアをアメリカに売り込もうと思って始まったこの旅は、思いがけず、ロボットが取ってきたデータを便利に使いながら、実際には(ロボットとは無関係な)膨大な水道配管関連データを取得し、解析するソフトウェアを作って売るというビジネスモデルに形を変えており、僕たちはまた新たな目的に向かって旅を続けていた。
頼むぜ、吉川君
1月16日の週は大忙しだった。サンフランシスコ・ベイエリア(北はサンフランシスコから、南はサンノゼまで、サンフランシスコ湾を囲むようにして存在する地域の総称)にある大きな水道公社3社と次々に面会の約束を取り付け、実際に彼らがどのような問題を抱えているのか、現在はどのようにそれを解決しようと努力しているのか、その解決策では何が足りないのか、例えばこの問題をソフトウェアで解決できるならば、どのような解析ソフトウェアを購入したいと望んでいるのか、それをどんな風に使いたいと望んでいるのかについて、ズケズケと現場の担当者に話を聞いて回ったのだ。
僕たちの解析ソフトウェアは、理論的には必ず現在水道公社が保有している予測モデルの精度を上回ることができるという確信があった。既に、その中核部分のソフトウェア開発には着手しており、今回のヒアリングでは、それ以上に、実際に現場の担当者がこうしたソフトウェアを「どのように使うのか」といった側面に光を当てて、製品パッケージを作る際の参考にしようとしていた。
このソフトウェアの中核部分を作っているのが、日本から赴任している吉川君だ。2014年から2015年には、スタンフォード大学のコンピュータ・サイエンス(情報工学)科の研究室で研究員を務めていたソフトウェアのプロだ。大阪出身。陽気な性格でチームの皆を常に明るくしてくれるムードメーカーでもあり、また、プログラムを書かせたら超一級の腕前だ。
思い起こせば、吉川君が僕たちの冒険に合流してくれたのは、本当に偶然の出会いがきっかけだった。2015年に僕がスタンフォード大学を訪問した際、たまたまエレベーターホールで吉川君を見かけたのがきっかけで、彼の研究室を案内してもらう機会があり、(毎度、僕の人生はそんなものなのだが)そのきっかけを無理矢理こじ開ける形で、僕が熱烈にこのベンチャーに誘ったのだ。
彼のように、技術力があり、かつある種のハングリーさのようなもの、そして途方もない前向きさを持ち合わせている若者と一緒に仕事をしていると、自然とカラダがポカポカしてきて、「俺たちは、何か本当にデカいことができるんじゃないか?」という、根拠があるんだか無いんだか、もはや何だか分からない情熱に満ち満ちてくる。彼のような若者を大切にすることが日本の使命であり、彼にチャレンジングな仕事や環境を与えることが、つまるところ僕の仕事ということだろう。
いずれにせよ、プログラムを書く彼の両腕に、このベンチャーの命運がかかっているのだ。だからこそ、毎日彼と話をしていて、彼がプログラムを書く上で何らかの問題を抱えている様子が垣間見えると、「もしかしたら当初の見込みが甘かったのかも知れないな。解析ソフトウェアを作ることは、そんなに簡単なことじゃないのかも知れない。ひょっとしたら、方針を変える必要があるのかも知れない」と絶望的な気持ちになるし、また彼が良い形でモデルを組めている様子が垣間見えると、「この先に未来があるな。やっぱり僕たちが考えてきたことは間違いじゃなかったんだ」と思えてくる。なんとも単純かつ不思議なことなのだが、この感情のジェットコースターとも言うべき状況が、毎日毎日訪れるのだ。
改めて響くアンドリーセンの言葉
かつて僕が、『未来を切り拓くための5ステップ』(新潮社)という本を書いたとき、現在のIT革命、インターネット革命の生みの親であるマーク・アンドリーセンの言葉を引用したことがある。彼は、インターネットの情報を拾ってきて、ディスプレイに映し出す世界で初めてのソフトウェア(インターネット・ブラウザ)「Netscape(ネットスケープ)」を作った人で、起業家の心のありように関して、過去こんなことを言っている。
起業するってことは、君たちがこれまで経験したことがないような人生のジェットコースターに乗るようなものだ。ある日、自分には世界を征服できるんじゃないかと思うこともあれば、その数週間後には、自分の事業は破滅するんじゃないかと感じることもある。事業が先に進むにつれて、こんな気持ちの変化が何度も何度も繰り返される。
これは大人になれない起業家だから経験することではなく、むしろ責任感のある起業家だからこそ経験することでもある。起業には不確実性やリスクが付きものだからね。…物事が本当にうまく運ぶ日もあれば、全くダメな日もある。それが自分の感情やその時のプレッシャーによって増幅されて、ジェットコースターに乗っているような気持ちになるってわけだ。
(マーク・アンドリーセン)
こうした気持ちは、まさにジェットコースターと呼ぶにふさわしい。アメリカで上手くいったモデルを日本でパクって展開するだけであれば、こうしたジェットコースターには乗る必要がない(その代わり、自らが世界にインパクトを与えるチャンスを放棄することになる)。しかし、本当に世界で勝負しようと思ったならば、世界にインパクトを与えようと思ったならば、経営者はこうしたジェットコースターに乗らざるを得ないのだ。
ハートが強くなければ、とてもやっていけない。タフな仕事だ。ところで余談だが、先日スタンフォード大学を歩いていたら、かのマーク・アンドリーセン本人が家族を連れてのんびりと散歩をしているところに遭遇した。世界を変えた人間、僕の憧れの人、自分が本に引用した人間がすぐ近くにゴロゴロいるというのが、ここシリコンバレーの面白さだなと改めて思ったものだ。
ジャンプ・イン、訓練中
1月30日、ラースさんと一緒に久しぶりにサンフランシスコに行ってきた。4月と6月の展示会に向けて、去年までの展示ブースを刷新するために(というよりも、去年までの展示ブースは、垂れ幕一枚、ロボット一個を置いておいただけだったので、刷新というよりも、初めてきちんと企画するという印象だ)、小さなデザイン会社と打ち合わせをするためだ。
ラースさんとサンフランシスコにて。デザイン会社と、展示会ブースの企画打ち合わせに参加しました
このディスカッションで僕は、またもアメリカの洗礼を受けた気がした。これが、なんとも言えない情報洪水のようなディスカッションで、またも僕はその中で溺れかけたのだ。以前も書いたかも知れないが、アメリカではとにかくディスカッションが多い。また、それが優秀な人であればあるほど、ものすごい勢いでまくし立てる。僕も日本人の中ではよく話をするほうなのかも知れないが、とにかくアメリカ人とのディスカッションでは、話の切れ目を見つけるのに非常に苦労する。
やむを得ず、日本人的な感覚からすると、向こうが話をしている途中で、「ここで入ったら失礼かな?」とも言える状況でジャンプ・インする(飛び込む)ことになるわけだが、こちらが思っているほど、向こうはそんなことを気にしていないことに、いつも新鮮な驚きを受ける。要は、これでいいのだ。この感覚にはまだ完全に慣れることができない。言語そのものの問題というよりも、その背景にある文化を知らない限り、本当にその国で生きることはできないのかも知れない。
2月6日には、ついにマットがヒューストンからサンノゼに合流した。彼は昨年の10月から12月まで、日本のロボット開発にプロセスと秩序を持ち込むため、僕からの命で東京に長期出張してチームをまとめてくれていた。
マット、亜美さん、同乗感謝!
1月に東京からヒューストンに戻り、ヒューストンオフィスの撤退に関する全ての手続きを終え、2月からサンノゼオフィス勤務になっていた。身長193センチ、海軍出身の心穏やかなこのテキサス男は、カントリー・ミュージックを聞きながら、カウボーイハットをかぶって、遥かヒューストンからサンノゼまで、3日もかけて自分のジープを運転してきたのだ。
マットは、本当に不思議な男だ。仕事をプロセスに落とすのが非常に上手く、またコミュニケーション能力が突出しているので、誰とでも仲良くなれて、かつチームでしっかりと仕事を前に進めることができる。この人はなんでこんなに上手いこと人と渡り合うことができるのだろうか?と考えることがあるが、それはやっぱり文字通り「チームと命を預け合う」アメリカ海軍という所で培われたチーム・スピリットに他ならないのではないかと僕は思っている。
1月11日からは、経理や人事をパートタイムで担当してくれる亜美(あみ)さんがチームに合流した。明るくて誠実で前向き。これまで、僕がサーカスの団員もビックリするくらいギリギリの片手間でやっていた事務仕事を、上手く引き取ってきちんとした形にしてくれるので、本当に助かっている。
マットの体がやたら大きいということもあるのだろうが、サンノゼオフィスは、総勢7名の体制となり、何のかんのオフィスがギュウギュウになってしまった。こうしたことを見越して、昨年末からもう少しスペースのある新しいオフィスを探し始めたのだが、もしかしたらもうすぐこのサンノゼを離れ、どこか別の地域にオフィスを設置することになるかも知れないと思うと、少し寂しい気持ちがするのが事実だ。
サンノゼオフィス開設から、ラースさんとヨネ(米村さん)と、ああでもないこうでもないと過ごした青春。その場所を出ることになるなんて。しかし、まあそれがベンチャーというものなのだ。そんなことを考えているうち、せっかくなのでということで、7人で近くのスターバックスで記念撮影をした。
ジェットコースターの乗員7人。オフィス近くのスタバにて
いつか、ヨネとこのスターバックスでコーヒーを飲みながら、「ベンチャーとは、つまるところ部活動のようなものであり、ある種の思い出作りなのだ」という話をしたことがある。世界に良いインパクトを与えようと真剣に思ったならば、事業に関して十分なリスクを取らなければならない。またこうしてハイリスクを取っているベンチャーに関しては、上手くいったときのリターンは高いものの、当然のことながら必ず上手くいく保証などない。もし「私たちは100%絶対に上手くいく」などというベンチャーがあるならば、それは逆に、期待リターンが極端に低いベンチャー、業界2番手以下のベンチャー、誰かのパクりベンチャーである可能性が高いとも言えるのだ。
ところで、そもそも「リスク」とは何だろうか。ファイナンスの世界では、リスクとリターンは見合うことになっており、リスクとはすなわち統計的な分散のことを指しているのだそうだ。期待リスクが低ければ、期待リターンも低い。期待リスクが高ければ、期待リターンも高い。いわゆる「ハイリスク・ハイリターン」の原則だ。
もしここに期待リスクが低くて、期待リターンが高い商品があるならば、誰かが今日それを購入してしまい、すぐにそれは世の中から消えてなくなってしまう。また、もしここに期待リスクが高くて、期待リターンが低い商品があるならば、そんなものは誰も購入しないので、すぐに市場から忘れ去られてしまう。こうして市場の波に洗われて、きちんとリスクとリターンが見合うように分散することになっているというのが、ファイナンス理論の教えるところだ。
The Journey is the Reward
話を戻そう。つまり、十分な事業リスクを取ったならば、上手くいく可能性は100%などではなく、五分五分といったところなのかも知れない。しかし、誤解を恐れずに言うならば、その事業に失敗したとして、倒産したとして、それが何だというのだ。たとえば、大学で体育会系の部活動に入る。試合で勝ちたい。勝つために来る日も来る日も練習する。しかし、4年生最後の試合で、結果として勝てなかったとして、その人の大学生活は、全て否定されてしまうのだろうか? その人の4年間、全てが無意味だったのだろうか?
そんなはずはないだろう。そうして試合という目標に向け、決して妥協せず、絶えざる努力をして、自分が格段に成長したと思えるならば、ケンカしながらも最終的にチームの結束を高めることができたならば、きっと大学を卒業したとき、自らを振り返って後悔はしないはずだ。
アップル社のCEOだったスティーブ・ジョブズが語った言葉に、「The Journey is the Reward」という言葉がある。意味としては、「目的地に着くことが旅の目的なのではない。旅をすること、そのこと自体が、旅の本当の目的なのである」といったところだろうか。禅にも、「修行そのものが悟りである(修証これ一等なり)」という言葉があるようで、禅思想の影響を受けていたスティーブ・ジョブズはこの影響を受けたのかも知れない。
いずれにせよ、毎日僕と同じ時間を過ごしている、この写真に写る仲間たちが、試合に勝っても負けても、この部活動に入って良かったと思えるように、僕は頑張ろう。このスターバックスで撮った写真を大切な宝物にしよう。「The Journey is the Reward」なのだから。
2月7日にラースさんとロサンゼルスの水道公社に営業に行ったことを書きたかったのだが、そろそろ次の打ち合わせに向かう時間だ。また来月にでも、機会があれば書いてみたい。一言で言うと、「営業が思いのほか順調に進んでいる」ということなのだが、またその話は別の機会に譲ろう。
社内のミーティングです。たまに助けてくれているMattiも写っています。7人プラスアルファで、さらに前へ
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