こうした気持ちは、まさにジェットコースターと呼ぶにふさわしい。アメリカで上手くいったモデルを日本でパクって展開するだけであれば、こうしたジェットコースターには乗る必要がない(その代わり、自らが世界にインパクトを与えるチャンスを放棄することになる)。しかし、本当に世界で勝負しようと思ったならば、世界にインパクトを与えようと思ったならば、経営者はこうしたジェットコースターに乗らざるを得ないのだ。
ハートが強くなければ、とてもやっていけない。タフな仕事だ。ところで余談だが、先日スタンフォード大学を歩いていたら、かのマーク・アンドリーセン本人が家族を連れてのんびりと散歩をしているところに遭遇した。世界を変えた人間、僕の憧れの人、自分が本に引用した人間がすぐ近くにゴロゴロいるというのが、ここシリコンバレーの面白さだなと改めて思ったものだ。
ジャンプ・イン、訓練中
1月30日、ラースさんと一緒に久しぶりにサンフランシスコに行ってきた。4月と6月の展示会に向けて、去年までの展示ブースを刷新するために(というよりも、去年までの展示ブースは、垂れ幕一枚、ロボット一個を置いておいただけだったので、刷新というよりも、初めてきちんと企画するという印象だ)、小さなデザイン会社と打ち合わせをするためだ。

このディスカッションで僕は、またもアメリカの洗礼を受けた気がした。これが、なんとも言えない情報洪水のようなディスカッションで、またも僕はその中で溺れかけたのだ。以前も書いたかも知れないが、アメリカではとにかくディスカッションが多い。また、それが優秀な人であればあるほど、ものすごい勢いでまくし立てる。僕も日本人の中ではよく話をするほうなのかも知れないが、とにかくアメリカ人とのディスカッションでは、話の切れ目を見つけるのに非常に苦労する。
やむを得ず、日本人的な感覚からすると、向こうが話をしている途中で、「ここで入ったら失礼かな?」とも言える状況でジャンプ・インする(飛び込む)ことになるわけだが、こちらが思っているほど、向こうはそんなことを気にしていないことに、いつも新鮮な驚きを受ける。要は、これでいいのだ。この感覚にはまだ完全に慣れることができない。言語そのものの問題というよりも、その背景にある文化を知らない限り、本当にその国で生きることはできないのかも知れない。
Powered by リゾーム?