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「CEOの哲学」を広く遠くまで伝えるには

 しかし、あるスタッフはボストン(マサチューセッツ州)に、あるスタッフはマイアミ(フロリダ州)に、あるスタッフはロサンゼルス(カリフォルニア州南部)にいるとなると、日々のコミュニケーションを取ることすら難しい。週に1回の全社ミーティングでも、個別に話をすることができるわけではないので、これに関しては何とかしたいと思っていた。女性や男性、黒人や白人、そんなことはどうでも良い。そうではなくて、同じようなことに価値観を置いて、同じような目標を持って戦場で戦いたいということだ。どうせ戦地で「背中を預け合う」なら、自分と同じようなことを大切にする人たちと一緒に戦いたい。そんなことを考えるうち、僕以外にも、会社の「文化」について考え、これをしっかりと育てることに主眼を置いたチーフ(責任者)が必要な気がしていたのだ。

 良くも悪くも、会社というのはその会社のCEOの哲学によって成り立っている。それは経営における、避けがたい現実であり、CEOはそこから目を背けることはできない。なにも「フラクタの従業員は、みんな僕色に染まれ!」などと言っているのではない(そんな奴がいたら、それは単なるバカだから、放っておけば良いのだ)。そうではなくて、CEO、またCEOの人生哲学に共感した人間が集まってくるのがスタートアップであり、創業初期の会社なのだから、そのCEOの振る舞い自体は、(とりわけ創業初期には)スタッフの一人ひとりに(否が応でも)伝播してしまうということを言っているのだ。

 CEOが真面目な人間ならば、会社全体に真面目な雰囲気が流れるし、CEOがカネに汚い人間ならば、会社全体もカネにはだらしなくなるだろう。それがヒト型ロボット・ベンチャーだろうと、人工知能ベンチャーだろうと、僕がある意味では開花させることに成功し、世に送り出した真面目なる天才たちの才能は、僕の哲学や人間性とは切っても切り離せないもののような気がしていた。

 一方で、哲学というのは、物理的な距離が離れ、またコミュニケーションの頻度が下がると、これを伝えることが非常に難しい。創業初期は何の気を使うことも無くして、そのような果実が得られるのがスタートアップならば、成長期には、従業員の人数が増え、また勤務地もバラバラになることを考えると、今度はその会社の「文化」や「考え方(哲学)」を統一することが、思いのほか難しくなる。

 しかし、改めて考えてみると、僕の哲学とは一体何だろう? 僕が大切にしていることとは、一体何だろうか? 以前の記事にも書いたと思うが、僕の、あらゆるものに対する判断基準は「それがフェアかどうか?」だ。しかし、これはスタッフの人たちに伝えるというよりも、僕がリーダーとして、それがフェアかどうか?を意識しながらジャッジすれば良いことのような気がする。僕は一体何を大切にしているのか? 僕はどういう人間で、フラクタはどういう会社なのか? この人事の責任者の採用活動を通じて、僕は自らにこうした問いかけをするようになった。