福島第1原子力発電所の事故をめぐる最大の障壁は気持ちの問題である──。「日経ビジネス」4月24日号の特集「東電バブル 22兆円に笑う業界 泣く業界」で取材した多くの関係者が、こうした見解を口にした。

 被災者、自治体、国、メディア、そして国民…。東京電力ホールディングスの利害関係者の間で相互不信に陥っていることが、問題の解決を阻んでいるのではないか。

 「大地大海山川草木全てを汚し、人々の身も心も生業も傷つけ、縁を分断したる悪行は、その救助捜索を阻害し、我々を悲憤の流浪避難の民とせしめる」

 2017年3月11日、東日本大震災から6年となるこの日、福島県浪江町の住職、青田敦郎さんが同町の遺族主宰の慰霊式で読み上げた経文は、東電への呪詛そのものだった。

 青田さんに初めて会ったのは、日本経済新聞の記者として取材に当たっていた昨年3月の慰霊式だった。そこでも青田さんは同じ経文を読んでいた。集まった報道陣は遺族の悲しみ、あるいは悲しみを乗り越えようとする心の動きを取材しようとしていたことだろう。その中で読み上げられた呪詛の言葉に衝撃を受け、翌日の紙面に反映できないことは承知の上で声をかけた。なぜこんな経文を読んだのか、尋ねずにはいられなかったからだ。

 「こんなものを読むべき場ではないと分かってはいます。ただ、どうしても我慢ができなかった」。青田さんはうなだれながら話してくれた。遺族からは「よくぞ言ってくれた」と声をかけられることもあったという。

 震災当時、青田さんの家族は皆無事だったものの、約80人の檀家が命を落とし、避難のために多くの遺体が放置された。各地を転々としながら避難生活を続けていく中で、浪江町への帰還を諦める人が徐々に増えていった。

 避難先で亡くなった檀家も多く、福島県全体では、避難などで体調を崩す「震災関連死」が津波などによる死者の数を越えている。浪江町の全町避難指示が一部解除に至っても、全く変わることのない青田さんの怒りが経文には込められていた。

変わる「謝罪の顔」

顧問に退くことが決まった石崎・福島復興本社代表(写真:東洋経済新報社写真部)
顧問に退くことが決まった石崎・福島復興本社代表(写真:東洋経済新報社写真部)

 今春発表された東電の人事で、福島の「謝罪の顔」が大きく変わる。東電福島復興本社の石崎芳行代表が福島担当特別顧問となって一線を退く。被災者の反応は様々だ。福島の現場をよく知る人材として慰留を求める声がある一方、「いくら頭を下げようと、東電が会社として反省していると感じたことは一度もない」と冷めた声もまた多い。

 賠償を巡って裁判外紛争解決手続(ADR)を起こしている双葉町の男性は「これ以上、カネがほしいと思っているわけじゃない。東電の反省がうかがえない態度が許せないんだ」と憤る。こうした発言は、決して一部の避難者だけの声ではない。

 東電のメインバンクの1つであるメガバンクの関係者に「(事故当時の会長である)勝俣恒久氏が一軒一軒被災者を訪ねて頭を下げれば、賠償総額は減るし、廃炉や除染の調整も上手くいくのではないか」と話したことがある。メガバンクの関係者には、「そんなことを法人のトップができるわけがないでしょう」と一笑に付された。

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