東京電力ホールディングス(HD)は3月末、会長と社長人事の一新に踏み切った。同社株式の過半を持つ国にとって、東電のトップ人事は誤算続き。頭の痛い問題だった。そこで昨年後半から始まった東電改革を巡る議論に乗じ、経済産業省は懸案だった人事問題を一気に片付け、「磐石の布陣」を敷くのに成功した。今回の会長、社長の同時交代は、東電改革の中で経産省が得た最初で最大の成果と言えるのかもしれない。

 6月の株主総会を経て、2004年から会長を務めたJFEホールディングス元社長の数土文夫氏は退任し、後任に日立製作所の経営を再建した実績のある川村隆・日立名誉会長が就く。加えて2012年に社長に就任した東電生え抜きの広瀬直己社長は代表権のない副会長となり、グループの小売り子会社(東京電力エナジーパートナー)社長の小早川智明氏がHD社長に昇格する。

4月3日、新旧の東電会長、社長が一堂に会した。左から現会長の数土文夫氏、次期会長の川村隆・日立製作所名誉会長、次期社長の小早川智明・東京電力エナジーパートナー社長、現社長の広瀬直己氏(写真:的野 弘路)

 トップ人事は誤算の連続だった。福島第1原子力発電所の事故を受け、東電は2012年に実質国有化された。事故の無限責任を負い、賠償、除染、廃炉という終わりの見えない難題が山積するなかで国が手を着けたのがトップ人事だ。国有化した以上、生え抜き幹部だけに経営を任せるわけにはいかない。確かな手腕があり、政財界にも顔の利く大物経営者を落下傘で送り込み、経営再建と改革に腕を振るってもらう必要があった。

会長人事、漂流の過去

 だが経産省の会長選びは漂流する。最初に頼った経団連からは会長職に人材を出すことに難色を示され、大手自動車会社や製鉄会社のトップ経験者に打診するも断られ続ける。未曽有の事故を憂い「東電という『火中の栗』を国士として拾う意思を見せた経営者もいた」(関係者)というが、出身会社から懸念が出るなどして結局、どの候補も就任までには至らなかった。実はこの頃から既に川村隆氏の名前は挙がっていたという。ただ当時、川村氏は経団連の副会長職を務めており、次期会長の芽もあったため、経産省は打診を見送らざるを得なかった。

東電HDの会長に就任する川村隆氏(日立製作所名誉会長)(写真:的野弘路)

 経団連から袖にされ、追いつめられた経産省は経済同友会に救いを求める。同友会も経団連と同じく会長を輩出することはできなかったものの、数土氏ほか数名の幹部を社外取締役として東電の経営陣に送り込んだ。肝心の会長職は結局、弁護士出身で政府が出資する原子力損害賠償支援機構(現・原子力損害賠償・廃炉等支援機構)の運営委員会委員長を務めていた下河辺和彦氏が務めることになった。「経産省は下河辺さんに泣きつかざるを得なかった。当時の財界はだらしなかった」。当時を知る関係者はこう振り返る。

 下河辺氏と経産省から東電に乗り込んだ嶋田隆氏らは外部の専門家に東電のリストラを依頼するなどして経営合理化に着手。「震災直後、ぐちゃぐちゃだった東電を何とか2人が整理した」(関係者)。これを継いだのが数土氏だった。2年間、社外取締役を務めてきたため内情にも詳しく、会長就任は既定路線になっていたという。