(前回から読む)
レース界伝説の男ケン・マツウラこと、松浦賢・ケン・マツウラレーシングサービス顧問の運転で到着した同社の本社工場は、ごらんのような、緑の小山に埋もれた低い建物群だった。コンクリ打ちっ放しの外観で、ものづくりの現場、という感じが全然しない。

工場の一角にある会議室に入り、セッティングをしていると、ロン毛…まではいかないが、長い後ろ髪をした青年が入ってきた。若手の社員さんかな? と油断していると「ようこそいらっしゃいました。松浦です」。ケン・マツウラレーシング代表取締役社長の松浦賢太さん、ケン・マツウラの息子さんでした。40歳と伺いましたが、お若い!
「当社はトヨタ自動車様を始め、二輪四輪メーカー様へ事業展開しています。各メーカー様間での機密保持契約を締結させて頂いており、守秘義務と工場立入制限があります。今回は、トヨタの村田さん(村田久武・GR開発部長兼ハイブリッドプロジェクトリーダー)のご紹介もあり、できる限りご案内させて頂きますが、どこで制限がかかるかはクライアントであるトヨタさんの意向によることを、お含み置き下さい」
流れるような説明ありがとうございます。はい、了解です。といいますか、最先端のお話を伺っても正直、猫に小判でして、まずはケン・マツウラレーシングサービスの成り立ちからお聞きしてもいいですか?
「わかりました。ここまでの道中で聞かれたと思いますが、もともとは祖父がホンダのディーラーをここで経営していたんです。そこへ、ヨシムラで修行していた顧問(=賢太氏の父、ケン・マツウラこと松浦賢氏)が64年に戻り、最初はエンジンのチューニングを行う個人店を始めました。73年から株式会社化して、部品製作にも取り組みます」
市販車の試作関連の比率がすでに6割に
何の部品からでしょうか。
「BMWのモータースポーツ用エンジン、M12-7です。当時、ニコル(BMWの国内販売店)経由でエンジンを入手しましてF2やGrCの国内レースに使用していたのですが、レシプロ部品のばらつきによる性能やエンジンライフの差があり、ユーザー様へ迷惑をかけることが度々ありました。信頼性の無い部品に困り、我々で設計をおこない部品を作ることになったのが当社のものづくりの始まりです。
そこから、F3000、F1のエンジンも手掛けるようになり、トヨタさんの海外レース進出に伴いCART、NASCARなどの米国のレースや、WEC(世界耐久選手権)、WRC(世界ラリー選手権)などのエンジンチューニング及び部品製作に携わるようになったわけです。現在ではスーパーフォーミュラ、スーパーGT、JSB、WSB、MotoGPなども」
それにしても、創業者のご実家から事業を始めて、現在まで松山を動かなかったのですね。
「だって、橋(※本四連絡橋)が出来てからはクルマに乗れば鈴鹿も富士もすぐそばだからね」と、松浦顧問が口をはさむ。
なるほど。事業はどんな構成比率ですか?
「レースについて言えば、レース用エンジンの年間の使用台数がレギュレーションで決まってくる時代になりまして」(賢太社長)
以前は1レースでフリー走行用、予選用、本戦用、とスペックの異るエンジンを用意していたような時代があったのですが、そうはいかなくなってきたんだよね、と賢顧問。そうそう、と賢太社長が引き取って話を続ける。
「現在のレース用エンジンは、二輪四輪関係なく、台数制限やロングライフ化が進んでおり、この傾向は止まることはなくレース関連の仕事は減る一方と予想されます。そうなっても困らないように、会社としては、市販車の先行開発の受注を進めていまして、レースと市販車の比率は市販車の方が若干多くなっています。
元々、モータースポーツ関連の仕事は、短納期、仕様変更の対応力などが求められます。これは市販車の先行開発にもそのまま生きるメリットとなり、さらに我々は、設計、解析から部品製作、エンジン組付けから実機の運転試験まで、当社だけで一貫して対応することが可能です」
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