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 「僕の育った村は、この近くの山の麓にあって、林業でそれなりに豊かだったんだ。僕のおじいさんが新しいものが好きで、エンジン付きの自転車を買ってね」

 あっ、有名なホンダの“バタバタ(1946年発売)”ですか?

 「さすがにバタバタじゃなかったと思うよ。もうちょっと本格的なやつだったな。後ろに乗せてもらって街まで行き来するうちに、これは面白い!って、すっかり夢中になって、後ろからのぞき込んで運転を覚えてさ」

 まさか…

 「うん、中学に行くころは1人で乗り回していた(笑)」

 ということは無免許、よく捕まりませんでしたね。

 「だって、巡査が乗っているのは普通の自転車だもん(笑)。ただ、さすがに警察から文句が来て、免許を取れる歳になったその日に学校を休んで試験場に行ったけれどね。こうしてバイクに夢中になって、16歳でレースにも出始めた。小排気量のモトクロスバイクで。体重が軽いので速かったんだよ(笑)。ホンダのS600で四輪のジムカーナにも出て、もう連戦連勝。そうなると、速く走るために、パワーが出るエンジンが欲しくなるじゃないですか」

 なるほど。

 「それで19歳の時に、おじいさんがやっていたホンダのディーラー(北条ホンダ)を継ぐ形で、エンジンのチューニングを自分で始めた。今ならレース用のパーツがいろいろ市販されているけれど、当時は、自分でエンジンの部品を削って、軽量化や形状を工夫していったわけです。そこから、23歳の時に当時から有名なバイクエンジンのチューナーの吉村さん(吉村秀雄氏、ちなみに入社した当時の社名は「ヨシムラ・コンペティション・モータース」)に入って、技術を学ばせてもらった。残念だけどレーサーとしてよりエンジンをいじる方が面白くなって、5年後、73年に自分で故郷に帰って『ケン・マツウラレーシングサービス』を創業した、というわけ」

 吉村さんといえば、あの“ポップ吉村”。進駐軍のバイクのエンジンチューニングから九州で起業し、本田宗一郎氏が三顧の礼で彼のマシンを貸してもらって計測したという、エンジンチューニングの鬼。

 「怖いという人も多いんだけど、僕は一度も怒られたことがなかったな。ものすごくかわいがってくださって、勉強させてもらいました」

「いや、BMWには教えに行ったんだよ(笑)」

 ウィキペディアによりますと、その後松浦さんはドイツに渡ってBMWの先端的なエンジン技術を学ばれたとか。

 「ああ、ネットにそんなことが書いてあるんだね。よくそう言われるんだけど、そりゃ違う。僕のほうが教えに行ったの(笑)。本当だよ。だって当時、ヨシムラが手がけていたホンダのエンジンはすでに2万回転以上回るんだもの。向こうが『あのエンジンの開発者に会いたい、現物が見たい』というから口を利いているうちに、『お前がドイツに来てくれ』という話になったんです」

 そうなんですか?!

 「海外から日本に来たレーサーがね、レースで僕らがチューニングしたエンジンを載せたクルマにばんばん抜かれるもんだから『排気量アップしているだろう!』と疑われて、分解させられたこともあったくらい。もちろん不正なんかしていないから、疑いが晴れたら『すごい。俺もこのエンジンを使いたい!』と、レーサーから頼まれたりもしました」

 レーサーって誰ですか。

 「ケケ・ロズベルグとか、リカルド・パトレーセとか」

 ケケ・ロズベルグって、82年のF1王者で、しかも昨年のチャンピオン、ニコ・ロズベルグのお父さんじゃないですか! しかし、2万回転回るエンジンとか、超一流のレーサーから欲しがられるエンジンが、当時の日本でできたというのもすごい話ですよね。

 「なんでそういうことが出来たのか、と言えば、僕は、競争があったからだと思うんです。Yさんは『シデンカイ』って知ってますか?」