
前回お話しした、「比較優位説」の主張をもう一度挙げておきます。
- 他国より低い機会費用で生産できる財を「比較優位財」と呼ぶ
- 全ての国に(少なくとも1つは)比較優位な財がある
- 比較優位財の生産を増加させ、それ以外の財を輸入するという活動を通じて全ての国の経済状況は改善される

明治大学政治経済学部准教授
1975年東京生まれ。マクロ経済学を専門とするエコノミスト。シノドスマネージング・ディレクター、規制改革推進会議委員、財務省財務総合政策研究所上席客員研究員。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。
各国は、低い機会費用で生産できる財を輸出する(機会費用の高い財を輸入する)。言い換えると、各国は比較優位財を輸出する(そうではない財を輸入する)。前編で見たように、このように考えると「輸出しかしない国」「輸入しかしない国」は存在しない、ということがわかります。
では、比較優位説に基づく貿易構造は、各国の経済に何をもたらすのでしょう?
各国が比較優位財の生産を増やしてそれを輸出し、比較優位でない財(比較劣位財)を輸入すると何が起きるのか、考えてみます。
前回に引き続き、E国とP国の産品は、どちらも「綿織物」と「ワイン」として、綿織物1反、ワイン1本をつくるために必要な労働者の数は両国で、
生産に要する人数 | 綿織物 | ワイン |
---|---|---|
E国 | 1人 | 2人 |
P国 | 3人 | 3人 |
であるという例で話を進めます。
機会費用を「比較」すれば「優位」な財がある
前回を簡単に復習しておきますと、生産効率ではE国が綿織物、ワインともP国に勝ります。だったら、E国は綿織物もワインも輸出し、P国はどちらも輸入国になる(これが「絶対優位説」の導く結論でした)はずですが、歴史を見れば、生産効率で圧倒的に優位だったかつての英国や米国も、そんなことにはなっていません。
そこで、比較優位説の登場です。「ある商品の生産性の国際比較」ではなく、ひとつの国のなかでの商品間の生産性の差に目を付けたのです。一国の中での生産性の差は、生産に要する機会費用に当たります。(機会費用についてはこちら)
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