日経ビジネス4月11日号の特集「ビールM&A最終決戦」では、岐路に立つビール大手4社の海外戦略について詳報した。各社トップの苦悩と覚悟については本誌を読んで頂きたいが、今回の取材で際立ったのは、本社から責任と権限を与えられ派遣された現地トップの奮闘ぶりだった。グローバル化が遅れている日本のビール大手には海外事業のノウハウやそれを担う人材が不足しているとの指摘は多いが、彼らはまさに最前線に立ちグローバル化の成否を握るキーマンだ。キリンホールディングス、アサヒグループホールディングス、サッポロホールディングスそれぞれの展開地域でその姿を追った(敬称略)。
「キリンの資産を注入する」
キリンの藤川宏氏は買収直後からミャンマー・ブルワリーの指揮を取る(写真:的野弘路)
日中の気温が35度以上にもなる3月上旬のミャンマー。外資企業が次々と進出し東南アジアの「ラストフロンティア」と呼ばれるこの国で、現地ビール最大手、ミャンマー・ブルワリーの指揮を執るのがキリンホールディングス(以下、キリン)の藤川宏氏だ。2015年8月にキリンが買収して以降、社長(4月から取締役)として駐在してきた。現地の社員らと食堂で昼食を取りながら談笑しているかと思えば、本社併設の工場の工場長と真剣な顔で生産体制についての議論を交わす。さらに東京の本社から訪れた役員との会議で状況を説明するなど、日々精力的に動き回っている。
ミャンマーでシェア8割を握るミャンマー・ブルワリーは、現地では「エクセレントカンパニー」として有名だ。ビールの生産技術は高く、ミャンマー全土に営業網を張り巡らせている。社員の多くは大学卒で英語も堪能、専門技能にも秀でている。給与水準も高く、進出してきた外資系企業が頻繁に引き抜きにかかるほどだという。
ミャンマーは国民を年齢順に並べた中央値を示す「中位年齢」は26.9歳。GDP(国内総生産)の実質成長率は2014年が7.7%と高い成長率を誇る。若年層が多く、ビールの消費量も今後さらに増える見通しだ。
同社をキリンは697億円で買収し、直後から藤川氏を含む社員5人を派遣。生産、営業・マーケティングなど各部門に配置し、キリンの経営方針やノウハウを伝えたり、現地の市場分析や戦略立案にも携わってきた。藤川氏は「社員のモチベーションは高く市場の成長性もある。キリンの資産を注入することで、いい企業の価値を一段と高めることが重要」と話す。
工場では急ピッチで設備増強が進んでいる(写真:的野弘路)
藤川氏はキリン内では海外事業のエキスパートとして知られる。米国留学や国際ビール事業部を経て、1999年からはキリンが資本参加したオーストラリアの酒類大手、ライオンネイサン(現ライオン)に4年間出向。2010年にはシンガポールの飲料大手、フレイザー・アンド・ニーヴ(F&N)への出資案件にも携わり、キリンの東南アジア戦略の「前線基地」であるキリンホールディングスシンガポールの社長として、投資・提携案件全般を担当してきた。
ただ、この東南アジア事業はキリンと藤川氏にとっては苦い思い出でもある。キリンは2012年にF&Nの子会社化を狙って株式の買い増しに動いたが、タイの飲料大手、タイ・ビバレッジとの買収合戦に発展。金額がつり上がったことにより、結局2013年に保有する株式を売却して事実上撤退した。
売却益こそ出たものの、東南アジアで多国展開するための重要な足場を失った。
買収失敗で戦略を見直し
F&Nの「躓き」により海外戦略の見直しを迫られることになったキリン。藤川氏は当時を振り返り、「海外M&A(合併・買収)では特に各国の状況に合わせた投資を行う必要がある。それだけではなく、投資後にどのように経営に携わっていくのか、ぶれないビジョンを持って実行していくことが重要だった」と振り返る。
藤川氏は「企業価値を高められるか、ここ2~3年が勝負どころ」と話す(写真:的野弘路)
今回のミャンマー・ブルワリー買収はその点、あらゆる意味で失敗は許されない。キリンが東南アジアで再び存在感を高められるかというだけでなく、買収先の企業価値を高め、投資に見合う収益を上げられなければ市場の信頼を一段と失うことになりかねないためだ。キリンの磯崎功典社長はミャンマー・ブルワリーについて、「大人が自分の子供を見ているように、徹底的に関わっていく」と強調。その大人の役を現地で担うのが、まさにキリンから派遣された藤川氏らということになる。
3月末には目に見える連携策として、キリンのビール「一番搾り」の樽生ビールの販売を開始。2020年までに現在の約250億円の売上高、約88億円のEBITDA(利払い・税引・償却前利益)をそれぞれ2倍に引き上げる考えだ。
キリンの社員も現地の営業員とともに全国の販売店などを回るほか、工場でも増強が進む生産ラインの効率的な運営方法などを一緒に考え、汗を流す。今後は商品開発などでもキリンの知見を持ち込み、現地社員の一層のレベルアップをサポートする構えだ。
「ミャンマー・ブルワリーの事業強化は、キリンがこれからどのような海外戦略を展開するかという観点で最重要」と強調する藤川氏。磯崎社長と同様に、キリン再生に向けた実行力がミャンマーでも問われることになる。
ベトナム市場、数年内には「日本超え」も
サッポロは自社工場で「SAPPORO」ブランドを生産(写真:的野弘路)
街中を走るバイクの波が途切れることなく続くベトナムのホーチミンで、サッポロホールディングス(以下、サッポロ)のビールブランド「SAPPORO」が徐々に浸透し始めている。現地子会社、サッポロベトナムで社長を務める正脇幹生氏は2014年からベトナムに赴任し、2015年からトップとして事業の指揮を取る。
ベトナムはビール消費量で世界トップ10に入り、数年内には日本市場を超えるとの予測もある。国民の平均年齢が低く酒類のカテゴリーの中でもとりわけビールの愛好者が多いためで、レストランなどではビールの瓶をずらりと並べることが収入の多さなどを示すステイタスとなっている。
そんなベトナムにサッポロは2010年に進出。2011年に工場を稼働させ、商品の製造・販売を本格化させてきた。現在年間4万キロリットルの生産量を、設備増強も含め、同15万キロリットルまで増やし、ホーチミンを中心に展開エリアを広げる考えだ。正脇氏は「まずはSAPPOROというブランドを覚えてもらうことを優先させている」と語る。
外資系ではハイネケンが「大先輩」だ(写真:的野弘路)
ベトナムにおけるSAPPOROは、ローカルブランドより一段高級なプレミアムビールという位置づけだ。缶や瓶のほか樽生ビールも積極的に販売し、特に樽生は中高価格帯のレストランでの提供が中心。2015年の秋には中身とパッケージを刷新し、より高級感を持たせると同時に苦みを抑え、味が濃くても飲みやすいよう改良した。気温の高いベトナムではビールに氷を入れて飲む人が多く、味が薄くなりすぎないよう工夫も凝らした。
ベトナムでの外資系プレミアムでは、20年以上前に進出しビジネスを手掛けてきたハイネケンが大きく先行している。街中のパパママストアにも浸透し、広告看板もあちこちで見かけるほど知名度が高い。数量的には地場のローカルメーカーが圧倒的だが、サッポロが狙うのはこの「大先輩」に伍して、プレミアムカテゴリーでの存在感を高めていくことだ。
販促スタッフも大量採用
キリンやサントリーホールディングスに事業規模や資本力で劣るサッポロに海外事業のイメージは薄いが、実は堅実なビジネス展開で成果を上げている事例がある。2006年にカナダで約300億円を投じて買収したスリーマンビールだ。サッポロは買収後に自社ブランドを導入して北米での製造・販売を強化。買収以降、ほぼ増収増益を続けている。
正脇氏は2004年から09年まで、米国現地法人のサッポロUSAで社長を務め、サッポロの海外戦略の現場を長く見てきた。「地道に時間をかけてブランドを浸透させる我々のやり方を磨き込むしかない。他社の物まねではなく、それが我々の独自色だ」と言い切る。一方で、「例えば販売エリアの拡張などでは、思っていたようにうまくいかないことも多い。毎日が試行錯誤」と苦笑もする。
正脇幹生氏は「10年、20年先を見据えてブランドを根付かせる」と意気込む(写真:的野弘路)
目下ベトナムでは現地の営業員約280人を組織し、小売店や外食店をどぶ板で回る営業活動に注力している。販促費も相当額を投じて「プロモーションガール」と呼ぶ販促スタッフ約750人を各店に配置。実際に飲んでもらうことで品質を訴求している。自社営業は時間も手間暇もかかるが、正脇氏は「10年、20年先を見据えてやっていく」と語る。大規模M&Aを軸にした「空中戦」と一線を画するサッポロの取り組みが実を結ぶかは、正脇氏ら現地社員の双肩にかかっている。
酒類・飲料で5社を買収
欧州で「ペローナ」「グロルシュ」といった有力ブランドの買収を決めたアサヒグループホールディングス(以下、アサヒ)。約3300億円という巨額買収を支える土壌となったのは、アサヒがオセアニアで経験したM&Aと合理化によって得た経験だ。それを現場のトップとして取り仕切ってきたのが、オセアニア統括会社のアサヒホールディングスオーストラリア(AHA)社長の勝木敦志氏である。
2009~12年に矢継ぎ早に酒類や清涼飲料のメーカー5社を買収したアサヒ。だが、生産拠点や販路の重複に加え、収益管理が不徹底だったことなどからてこ入れには大きな労力を費やした。さらに、オーストラリアの酒類・飲料市場はキリン傘下のライオンやコカ・コーラアマティルが大きなシェアを押さえ、利益率でも水をあけられていた。勝木氏は「チャレンジャーとして、きちんと利益を上げながら自分たちの強みを伸ばすことを第一に考えた」と話す。
生産拠点の統合や効率化については特集でも紹介した通りだが、勝木氏たちが商品面で取り組んだのが飲料ではシェアトップのミネラル水など主要カテゴリーの強化と、酒類では日本のトップブランドである「スーパードライ」の浸透だった。収益性の低い飲料ではカテゴリーのポジショニングを明確にする一方、ビールでは数量を追わずとも一定の利益を確保できるプレミアムゾーンで存在感を高めることが重要だと考えたためだ。
ミネラル水はPB商品も積極的に手掛け、シェアを拡大
ミネラル水では量販店でのPB(プライベートブランド)商品を積極的に請け負う一方、量販で販売する自社ブランド、量販以外で扱う自社ブランド、高価格帯の商品など、カテゴリー内でのポートフォリオを整理。さらに工場に最新の生産設備を導入して効率を高め、大量生産・販売による規模のメリットを実現した。ミネラル水のシェアは6割を超え、収益性を確保することも可能にした。
他方、ビールに関しては中高価格帯のレストランを中心に営業を強化、鮮度管理や飲み方提案などを通じて高品質の輸入ビールというイメージを打ち出した。一般的にイメージしがちな和食との組み合わせという売り方にこだわらず、様々な料理の食中酒として合わせやすい点もアピール。2015年のアサヒブランドでのビール販売量は151万ケース(9リットル換算)で、足元でも右肩上がりで成長している。
アサヒの「スーパードライ」は専用のグラスで提供する
アサヒのノウハウを注入した合理化と、現地市場の実態に即した商品ポートフォリオの整理。利益を確保しつつシェアを高めるための施策を同時並行で進めるのは容易ではないが、勝木氏は「本社の要求水準は高かったが、課題や可能性を徹底的に洗い出すことで、1つずつクリアしていった結果」と振り返る。泉谷直木会長兼CEO(最高経営責任者)も「オセアニアでのチャレンジや試練が我々の今につながる体験学習になった」と話す。
アサヒが今回買収を決めた欧州のビール会社は高収益で知られるが、買収後の運営面では一層、泉谷会長ら首脳陣の経営手腕が問われることになる。勝木氏らが蓄積してきた知見がアサヒのさらなる成長のために必要となるのはこれからだ。
Powered by リゾーム?