
印刷関連機器、ディスプレー製造装置、半導体製造装置などを製造するSCREENホールディングス、そして光学機器、電子機器などを製造するオリンパス。この2社は、まさに「本業の危機」を経験している。
SCREENの前身は大日本スクリーン製造だが、1980年代後半から90年代にかけてデスクトップパブリッシングの台頭で印刷業界に大変革が起こり、製版関連製品の市場が4分の1にまで縮小した。また2000年代に入って、それまでテレビの主流であったブラウン管が短期間で液晶に取って代わられ、ブラウン管のシャドウマスクという利益率が高い部材を生産していた同社のビジネスが消失した。
オリンパスの場合はデジタルカメラである。スマートフォンのカメラ機能の向上で、やはりそのビジネスが大打撃を受けたことは記憶に新しい。

SCREENホールディングス取締役社長(CEO)。1981年、大日本スクリーン製造(現SCREENホールディングス)に入社。海外現地法人社長、半導体機器カンパニー社長などを歴任し、2011年に取締役就任。2014年4月に代表取締役 取締役社長に就任し、現在に至る。CEOになった今もなお、どんな困難にも屈しない「チャレンジ精神」を大切にし、行動することを心掛けている。
垣内:その後私たちもがんばって、印刷関連事業のデジタル化を進めましたので、今ではデジタル印刷において世界のリーディングカンパニーのひとつになれたと思っていますが、異業種の参入によって本業の危機を経験しました。その渦中においては正直、異業種の参入を過小評価していました。だから出遅れました。
ブラウン管から液晶へのドラスチックな転換に関しても、液晶の製造装置ビジネスに転換して今では成功していますが、一時は利益の稼ぎ頭がゼロになってしまったわけです。実は、転換の胎動に私たちも気がついていて、研究を進めていたのですが、想像以上のスピードで業界地図が塗り替えられてしまったことは事実です。
そうした経験がトラウマにはなっていますが、だからこそ、次に生かす嗅覚を研ぎ澄まし、イノベーションの大切さを忘れないという体質を得たともいえます。

オリンパス取締役社長。1982年、オリンパス光学(現オリンパス)に入社。内視鏡事業企画部長、開発本部長、マーケティング本部長、執行役員などを経て、2012年4月に代表取締役社長に就任し、現在に至る。オリンパスの主力である内視鏡事業に長年携わるとともに、海外赴任経験も長い。再生したオリンパスを高い倫理観と強いリーダーシップで率いている
笹:私たちの経験と似ていますね。デジタライゼーションによって、フィルムカメラからデジタルカメラに代わりました。それが今度はスマートフォンに移行し、デジタルカメラの市場は大きく縮小しました。どちらも技術革新という点では共通していますが、私たちはスマートフォンを過小評価し、油断していました。
それに気がついてからは規模を追わず、ミラーレスカメラによる付加価値の提供に集中する方向にすぐに手を打ちましたが、危機意識を持つまでに1年半ほどの時間がかかりました。
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