
自動車業界では唯一、R&D部門として本社から独立した本田技術研究所、BtoBで明治以来、日本の情報通信の技術革新をリードしてきた沖電気工業(OKI)。両社とも、社内に聖域を作り、中長期にイノベーションを行う仕組みを構築し始めている。
「イノベーション100委員会」(※)で、2社の経営者が語った経営革新、そして人事評価・組織のあり方とはいかなるものだろうか。
本田技術研究所はなぜ作られたのか。そこには、創業者である本田宗一郎氏と、名参謀といわれた藤沢武夫氏の「イノベーション至上主義」ともいえる思惑があった。その精神は今に引き継がれるが、内実は簡単ではないようだ。
本田技術研究所の松本宜之氏(以下、松本):創業者である本田宗一郎と藤沢武夫は、技術やデザインの独創性こそがHondaの競争力の源泉であり、企業を持続させるコアだと考え、研究所を独立させました。いわば、本田宗一郎という一人の天才に頼らずとも、永続的にイノベーションを興し続ける企業とするために、経営のシステムとして、研究所を営業や生産を中心とする本体から分離させたのです。

本田技術研究所代表取締役社長。1982年、本田技研工業入社。「シビック」「アコード」「インテグラ」などの開発を担当した後、2013年に新設されたアジア・大洋州生産統括責任者に就任。2015年に取締役専務執行役員に就任して四輪事業本部長を務め、2016年7月より現職。 初代「フィット」の開発責任者を務め、2002年の新車販売台数のランキングでは、トヨタの「カローラ」を抜いて、このカテゴリーでホンダ車としてはじめて首位を達成した。
技術の独創性を担保するには、研究開発という“将来に対する種まき”が重要であることから、研究やイノベーションに没頭できる聖域を作り、日々のオペレーションと分ける必要があると考えたのでしょう。
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