かつて世界はプーチン氏が明かした北朝鮮情報にクギ付け

 ちなみに北朝鮮が米国に非公式に「核兵器の保有」を通告したのは2003年、「自衛のために核兵器を製造した」と公式に宣言したのは2005年のことだった。大統領の話が事実とすれば、北朝鮮はそれよりかなり以前に「核保有」の実態を明かしていたことになる。

 ただし、「たぶん2001年」というのはプーチン大統領の記憶違いで、日本訪問の途中に北朝鮮に立ち寄ったのは2000年7月のことだ。では当時、大統領はなぜ北朝鮮に立ち寄ったのか。

 今でこそ老練な政治指導者として世界に知られるプーチン大統領だが、2000年当時はその年の5月に大統領ポストに初めてついたばかり。国際的な知名度も極めて低かった。7月の「日本訪問」は沖縄での主要国(G8)首脳会合への出席が目的で、先進国クラブでの外交デビューの場だった。

 そこに手ぶらで乗り込んでも、自らをアピールできない。そこで北朝鮮を事前に訪問し、北朝鮮問題で議論の主導権を握ろうと考えたようだ。当時は米朝が1994年に結んだ枠組み合意(ジュネーブ合意)がまだ有効だったものの、北朝鮮が1998年に長距離弾道ミサイル「テポドン1号」を発射するなど緊迫した状況が続いていたからだ。

 プーチン大統領の狙いは見事に当たった。沖縄でのG8首脳会合では実際、各国首脳がこぞって大統領のほやほやの訪朝報告に熱心に耳を傾けた。とりわけ、金正日総書記が外国によるロケット打ち上げ支援を条件に、弾道ミサイルの発射実験を凍結する用意があると語ったとするプーチン大統領の報告は世界の関心を集めた。

 大統領は自らの訪朝経験も踏まえ、この時から「北朝鮮を封じ込めるのではなく、窓を開かなければ何も始まらない」などと対話の必要性を各国首脳に訴えかけていた。

 それから17年の月日が流れ、北朝鮮の核・ミサイル問題は当時とは比較にならないほど深刻になってしまった。プーチン大統領にしてみれば、17年前の自らの主張を国際社会がもう少し真剣に受け止めていれば、事態はそれほど深刻にならなかったとの思いもあろう。

 同時に、昔話を明かしたことで、北朝鮮の核・ミサイル問題解決に意欲を示した当時の記憶がよみがえってきたのかもしれない。エネルギー問題を話し合う国際会合という場違いな席ではあったものの、大統領は続けて、北朝鮮問題では「中ロのイニシアチブによる工程表がある」と言明。中ロの提案というのが気に入らなければ、それを忘れて別に命名しても構わないとし、「(北朝鮮の核)問題を解決する共同行動の方策を共に仕上げようではないか」と力説したのだ。