さらに、ドイツのシュトゥットガルトでのオペラの制作、サンクトペテルブルクでの映画撮影といった仕事が山積していると嘆願。「私は逃げも隠れもしない」と何度も繰り返し、パスポートの返却と自由な芸術活動の継続を求めたが、裁判所は聞き入れずに自宅軟禁を言い渡した。

 監督らは本当に国家資金を横領したのか。真相は明らかではないが、国内の芸術関係者や知識人の間では「濡れ衣を着せられた不当逮捕」とみなし、監督を擁護する声が根強い。プーチン政権下ではテレビ、インターネットなど様々な分野で規制が強化され、教会で大統領批判の歌をうたった女性バンドに厳罰が下ったこともある。そうした背景もあってか、今回の逮捕劇をめぐっても、政権絡みの様々な臆測や疑惑が飛び交っている。

 そのひとつが政権による腹いせ説だ。

 セレブレンニコフ監督の自宅などが家宅捜索された翌日の5月24日。クレムリンで国家褒賞の授与式典が開かれ、各界の著名人が招かれた。その中にロシア人民芸術家の称号を持つ俳優で、「国民劇場(ツィアトル・ナーツィー)」の芸術監督を務めるエフゲニー・ミロノフ氏がいた。

 ミロノフ氏はかねてセレブレンニコフ監督と親しく、国民劇場に招いて演出を依頼したこともある。この日は、監督への捜査で善処を求める大統領宛ての嘆願書を携えていた。式典が終わり、シャンパンによる歓談に移ると、ミロノフ氏は大統領に近寄った。有力紙コメルサントによると、両者の間でこんな言葉が交わされたという。

 ミロノフ氏「知っていましたか、あの(家宅捜索の)ことを」

 大統領「うん、昨日知ったよ」

 ミロノフ氏「なぜ、なんであんなことを……」

 大統領「本当にバカなやつらだ」

 自分は関与していないと強調した面はあったにせよ、プーチン大統領は「バカなやつら」と捜査当局を批判し、嘆願書も受け取った。それなのに監督逮捕への流れはむしろ加速した。捜査当局が大統領発言に全く萎縮しなかったのはむしろ、政権が裏で捜査を命じていたからだという臆測につながった。

 しかも、ロシアの現代芸術振興のための「プラットフォーム」構想が生まれたのは2011年、プーチン大統領とセレブレンニコフ監督ら各界の芸術家との会合の席上だった。大統領の肝煎りで始動した企画ともいえ、多額の政府予算もつけたのに、恩義を感じずに平然と政権を批判する監督に対して、政権側が腹いせとして報復したという説である。

真実味を持って語られる「芸術弾圧」

 もうひとつ、巷(ちまた)でより真実味をもって流布しているのが芸術弾圧説。しかも、ロシア・バレエの殿堂ボリショイ劇場に関連するものだ。

 今年7月8日、ボリショイ劇場のウェブサイトを見たバレエ愛好家らが悲しい悲鳴を上げた。3日後の7月11日から4日連続で初演を予定していた新作バレエの演目が消え、すべて「ドン・キホーテ」に差し替わっていたからだ。直前になって初演が中止された新作バレエの演目は「ヌレエフ」。旧ソ連出身の伝説のダンサー、ルドルフ・ヌレエフを描いたもので、ロシアのみならず世界から注目されていた。