米欧の「上から目線」に反発

 ロシアにとってはもう一つ、G8化をめぐる過去の経緯も、G8に対するマイナスのイメージを増幅している側面がある。

 G7とロシア(ソ連)の関わりは東西冷戦終結後の1991年7月、G7首脳がロンドン・サミットにソ連のゴルバチョフ大統領を招き、G7首脳会議後に「G7プラス1」の特別会合を開いたのが始まりだ。ソ連崩壊後もロシアのエリツィン大統領(96年はチェルノムイルジン首相)が特別ゲストとして、G7会合に毎年参加するようになった。

 ロシアが初めてメンバーとなり、「G8」の枠組みとなったのは97年の米デンバー・サミットからだ。さらに翌98年の英バーミンガム・サミットからは、ロシアが経済を含めたすべての会合に出席するようになり、完全な一員となった。

 こうしたG8化の流れはいわば、ソ連崩壊後のロシアに民主主義や市場経済を植え付け、西側陣営に取り込もうとする米欧の上から目線の試みだった。それだけでもロシアには屈辱的な面はあったが、加えて米国にはもう一つの思惑があった。それが顕在化したのは、米デンバー・サミットの3カ月前、97年3月にヘルシンキで開かれたクリントン米大統領とエリツィン・ロシア大統領による米ロ首脳会談だった。

 会談でクリントン大統領は、ロシアにG8の地位と、世界貿易機関(WTO)への早期加盟支援を約束した。ただし、その見返りとして、エリツィン大統領に認めさせたことがある。ポーランド、ハンガリー、チェコの東欧3カ国の北大西洋条約機構(NATO)への加盟容認だった。

 3カ国は結果的に99年にNATO加盟を果たし、NATOの東方拡大のさきがけとなった。拡大の動きはさらに、かのヘルシンキ首脳会談でエリツィン大統領が「レッドライン」と警告した旧ソ連圏にまで及び、2004年にはバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)がNATOに加盟してしまった。

 プーチン大統領はかねて、NATOの東方拡大を「米国による裏切り」などとして激しく非難してきた。ロシアに対するG8の地位はまさに、NATO拡大プロセスにおける取引の一環として付与された歴史的経緯があるわけだ。

 そうした背景を踏まえると、プーチン氏がもともと、G8に対して好ましい印象を持っていなかったと見ることもできる。対外的なメンツを除いた本音の部分でも、ロシアがG8復帰を望んでいるとは言い難い。