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プーチン大統領の人気のピークは2008年夏

対外政策もプーチン政権の基盤固めに寄与したのか。

グトコフ氏:プーチン大統領の支持率がピークに達したのは2008年夏。同年8月に起きたグルジア(現在のジョージア)との戦争の時期とも重なる。国内では愛国主義的なキャンペーンが展開され、大国の復活を掲げる一方で、欧米に敵対するレトリックが高まった。ロシアは改革や変革よりも安定性を重視すべきで、かつてエリツィン政権下で進められた急進経済改革は、欧米がロシアの崩壊を真の狙いにして仕掛けたものだという考え方も広がった。

プーチン大統領の支持率
出所=ロシアの独立系世論調査会社レバダ・センター

 こうした動きは2004年から出始めた。翌年に控えた第2次世界大戦(大祖国戦争)の戦勝60年を祝う準備を始動させたころだ。政権は大国のイメージを復活させるとともに、ロシアに民主主義はふさわしくない、帝国主義や大国主義といった伝統的な価値観に回帰すべきだと宣伝。反欧米の感情を徐々に国民の間に植え付けていった。その典型例が2007年2月、(米国による一極支配体制を鋭く批判した)プーチン大統領のミュンヘン安全保障会議での演説だ。

プーチン人気はなぜ、2008年夏を境にしぼんだのか。

グトコフ氏:2008年秋からの世界金融危機の影響だ。政権はそれまで蓄積した資金を使って何とか国民の不満を抑えようとしたが、完全には抑えられなかった。2009年からは国民所得が再び低下し、都市部の中産階級、教育水準の高い人々など所得が高い層を中心に、プーチン氏への反発が高まった。

 2011年末の下院選での大規模な不正投票、メドベージェフ大統領の後任としてプーチン氏が再び大統領に復帰したことは、国民の大きな不満を呼んだ。大衆の抗議行動も広がった。政権側は一定期間は戸惑っていたが、やがてより強硬な対応に出る。抗議行動への参加者を大量に逮捕、拘束したほか、40以上の法律を修正して言論や政治活動の自由を大きく制限した。インターネットも規制対象とした。欧米と協力するあらゆる分野の非政府組織(NGO)を「裏切り者」とするキャンペーンも展開した。

 

 それでも国民の反発や抗議行動の影響は長引いた。プーチン大統領の支持率は徐々に低下し、2013年12月に最低水準まで落ち込んだ。2013年から2014年初めにかけての世論調査では、回答者の47%がプーチン氏は次の大統領になってほしくないと答えていた。

そんなプーチン政権の苦境を救ったのが、2014年春のウクライナ領クリミア半島の併合だったのか。

グトコフ氏:実はロシア国民の大多数は当初、ウクライナが欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)に加盟するかどうかを決定する権利はウクライナ国民にあり、ロシアは介入すべきではないと考えていた。ところがウクライナで(親ロ派の)ヤヌコビッチ政権が倒されて以降、ロシアで前例のない激しい反ウクライナ、反欧米キャンペーンが展開されるようになった。ウクライナの政権転覆劇は米国が仕掛けたといった具合だ。それはいまだに続いている。

 ロシアでは反ウクライナ機運が一気に広がり、クリミア併合やウクライナ東部の紛争で、国粋主義や愛国主義的なムードが社会を支配した。国民の多くはプーチン政権が国際法に違反したことは認めつつも、ロシア系住民の生命を守るためなら容認されると判断。プーチン大統領の支持率は急上昇した。

 ただし、クリミア併合後の大衆の意識、ロシア社会のムードはどうか。政権への信頼感とともに、家庭状況や経済状況への期待など12種類の世論調査結果をまとめて指数化すると、興味深い傾向がみえてくる。国民の間に政権への信頼感、ロシアが大国になったという誇りの感情が増す一方で、2015年以降は将来への不安や不確実性が広がり、いずれ戦争になるのではないかとの恐怖感すら国民は強く抱くようになっている。