
1958年生まれ。東京都出身。高校時代から放送作家として活動。「ザ・ベストテン」など数々の番組構成を手掛ける。83年以降、作詞家として美空ひばりさんの「川の流れのように」をはじめ、数々のヒット曲を世に送り出す。現在は、国民的アイドルAKB48グループと、乃木坂46・欅坂46の総合プロデューサーも務める。(写真:竹井 俊晴)
今回の特集で非常に悩んだ点が「アイドル」の定義です。秋元さんの「アイドル」の定義とはなんでしょうか。
秋元康氏(以下、秋元):「手の届く高根の花」か「手の届かない隣のお姉ちゃん」ですかね。これは作詞家の阿久悠さんの言葉です。幻想っていうと身もふたもないけれど、どこかで自分の理想とするホログラムのようなものだと思っています。
そのアイドル像は、時代によってどのように変化してきたのでしょうか。
秋元:僕は、時代によってアイドル像が変化してきたとは思っていません。正確に言えば、アイドルやエンターテインメント業界が変化しているのではなく、消費する側のファンのほうが変化しているのだと思います。実はこちら側は何も変わっていないんです。
常に、自分が「いいな」と思うものを作ってきました。それが当たったり当たらなかったりするのは、消費者がそのときに何を求めていたかによって左右されます。消費者と僕らの思う「いいな」が一致したときに、アイドルはブレイクします。結果的に望まれ続けたものが残り、それを並べて見たときに「ああ、アイドルって変化してきたんだな」と皆さんが感じるんです。
阿久悠さんはかつて、ウォークマンの登場で業界は大きく変わったとおっしゃっていました。昔は音楽が街中で鳴り、そこで流れている曲を耳にして、「あ、これいいね」と新しい発見があったんです。しかし、ウォークマンの登場で、個人がイヤホンで曲を聴くのが当たり前になってしまいました。最初から自分の好きな曲だけ聴く。だからヒットは生まれにくいんだと。
マーケティングは一切しない
ヒットが生まれにくいなかでも、秋元さんは、市場調査や顧客ニーズを探るようなマーケティングを一切しないと聞きます。なぜでしょうか。
秋元:放送作家をしていた30代の頃、「この時間の視聴者はこういうものを欲しがっているはず」といった考えで番組を作っていました。とても驕っていたと思います。でもある時、自分も大衆の一人であることに気が付いたのです。見えない大衆に向けて「こういうのがウケるんだろうな」と思って何かを作るのではなく、大衆の一人でもある自分が面白いと思うものを作ろうと。それからは、時代とかマーケティングとか全く気にせず作るようになりました。
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