「あの頃」を懐かしむ空気が広がる中で

 空気が冷え込んで街なかが慌ただしくなると、「今年を振り返る」ような企画が増えてくる。さまざまな分析があるけれど、最近は「1980年代」との類似性を指摘する記事などもあるようだ。

 80年代に流行った音楽をとある高校のダンス部が踊り、ネット動画からブームになったり、80年代に売り出された人気のロールプレイングゲームの最新版が人気になったという。
 そして、上野動物園にパンダが生まれたのも、1986年以来のことだ。
 50代半ばとなるMさんは、そんなニュースを見ると苦笑してしまう。

 そういえば、就職活動の頃にパンダの赤ん坊が話題になっていたなぁ、と思い出す。もちろん、Mさんはパンダどころではなかった。夏の盛りが就職活動の山場で、暑さに辟易とした記憶が蘇ってきた。
 大手の消費財メーカーに入社したMさんは、営業や商品開発の現場を経験して、いまは営業本部で部長を務めている。おもに首都圏の大手スーパーマーケットを担当する大切なポジションだ。

 その夜は、仲のいい後輩のEさんと二人だけで「早めの忘年会」をする予定だった。
 Mさんは、出先の会社から直接店に向かう。ざわざわした人ごみの中を歩いている時、ふと壁にあるポスターに目を引かれた。
 鉄道会社のスキーツアーの広告だ。冬の風物詩のようなものだが、今年はちょっと雰囲気が違う。懐かしい「あの映画」がテーマになっていたのだ。

 会社に入って、2年目。想像もしなかったバブル景気がやって来て、Mさんもその波の端っこの方でどこかウキウキしていた。
 そのスキー映画はヒットして、Mさんも見に行った。面白かったし、主人公がサラリーマンだったのも、どこか共感できた。
 (もう30年なのか……)
 「節目の年」ということで、再びスポットが当たったのだろう。
 すると、先ほどまでいた取引先で言われた「ちょっとしたこと」が再び気になってくるのだ。
 Eさんと会うと、Mさんはまずその話題を切り出してみた。

取引先の30代社員に言われた「ひとこと」

 「いやぁ、さっききついこと言われちゃってさ」
 挨拶もそこそこにMさんが口火を切るから、Eさんは聞き役である。

 Mさんは来春以降の自社の新商品キャンペーンの概要説明のため、大手流通企業に行っていた。既に部下が何度も根回ししており、今日は最終確認の挨拶のようなものだ。
 今回の商談自体は順調だった。商品への期待も大きく、広告プランなども歓迎された。

 Mさんの会社では、本社のマーケティングと宣伝セクションがキャンペーンを決める。そして、今回は「1980年代」を意識した内容だったのだ。当時活躍したタレントを起用して、いまの40代後半以降の女性を狙っていくという企画だった。
 最近のニュースでも取り上げられていたし、キャンペーンとしてもどこか既視感はある。ただ、先方の同年代のマネージャーたちの受けは良く、他の社員も「面白そうですね」と盛り上がった。

 ところが説明も終わり、四方山話になった時に先方の女性社員がふと言った。
 「みなさん、お好きなんですねぇ、こういうの」
 何気ない一言だったのだろうが、その場には一瞬微妙な空気が流れた。
 「まぁ元気がいいし、それが売り場では一番だから」
 先方のマネージャーが取り繕うように言って、そのミーティングは終了した。

 意外な発言をしたその社員は30代半ばで、たしか子育てをしながら働いているはずだ。仕事ぶりもしっかりしていて、いつもにこやかだ。
 (どうしたのかな……)
 Mさんの気持ちを察するように、帰りがけにはマネージャーがわざわざロビーまで一緒に歩いてきて、小声で言う。

 「すいません、さっきは失礼しました」
 そこまで気をつかうことないのに、と思ったが彼は気にしているようだ。話を聞いていると、どうやら、彼女は「バブル的なモノ」が嫌いらしいのだ。とくに「あの頃を楽しんだ女性」に対しては、どうも割り切れない思いがあるらしい。
 きっと、日頃からいろいろあるんだろうな。そう察したMさんは、気にする素振りも見せずに別れた。
 そして、店に向かう途中であのポスターを見たのだ。

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