古代中国の「宮仕えの矜持」

 久しぶりに会ったZさんは、相変わらず人懐こい雰囲気だった。「ぜひ、ビジネス書以外で」とリクエストをすると、「ほら、そうだろ」とニヤリと笑った。

「まあ、君くらいの歳になると、そういう気持ちになってくるみたいなんだよね」と言いながら、手元の本を見せてくれた。既に用意してくれたらしい。

「まずは、オーソドックスに歴史ものから行こうか」と取り出したのが宮城谷昌光の『孟夏の太陽』(文春文庫)だ。

「歴史小説を読む人は多いけれど、大概は日本の話だと思うんだ。人物のイメージが既に出来上がっていることが多いんだよね。ドラマなんかにもなっているし」

「たしかに、そうですね…」

「宮城谷作品は、主に古代中国を舞台にしている。多くの日本人にとってはよく知らない時代の話だから先入観なく読める。新鮮だし、驚くことも多い。ただ、何冊にもわたる長篇が中心なんだ」

 たしかに、そうだ。それでXさんも、手に取る機会を逃していたのだ。

「でも、この『孟夏の太陽』は、80頁ほどの中編が4つという構成で、馴染みやすい。しかも、それが世代を超えた物語になっている。王家に仕えた家臣の話なんだけど、『働く上で譲ってはならないこと』の大切さを教えてくれる。だからといって説教臭いわけではなく、読んでいくと自然に背筋が伸びていく感じになるんだよ。まあ、ある意味、会社員的な世界だ。でも、世代をつなぐ話だから、ついつい自分の家族ことを思い起こしたりもするし、いろいろな感じ方があるだろうな」

“小説の神様”から学ぶ「生きているありがたみ」

 「もっと古い作品だったら…」と次にZさんが出したのが、志賀直哉の「小僧の神様・城の崎にて」(新潮文庫)である。

「むかし、読んだことはあるんじゃないか?」

「ええ、教科書に出ていましたし、高校生時代の夏休みに文庫本で。ただ、印象が薄いんです。だからどうした? と言う感じで」

「まあ、無理もないだろうな。僕も40歳を過ぎた頃になって読み返してから、思わず唸ったよ。たとえば、この中の『城の崎にて』というのは10頁にも満たない短編だ。あらすじなんか、説明しようもない。山手線に跳ね飛ばされて怪我した主人公が、城の崎で療養している時に体験した出来事を綴ったものだ」

 たしかに、そんな話だったかもしれないが、Xさんは殆ど記憶にない。『小僧の神様』にしても、なぜ名作なのかがいま一つわからないまま読んでいたと思う。

「でもね、ぜひ読んでみるといいよ。『城の崎にて』も、怪我を負ってからの快復途上にある主人公の一人語りなんだけど、『生きているありがたみ』って若い頃は、ピンと来ないよな。ただ、今くらいの歳になれば、自分自身の健康も気になるだろうし、家族が病んだり、周囲でもいろいろことが起きると、この小説の価値がやっとわかるんだ。さすがに“小説の神様”だよ」

 この一冊に収録されているのは18の短編だから、古典と言っても身構える必要ないから、とZさんは付け加えた。