消費財メーカーではないので、それほど目立つような仕事ではない。ところが、この頃はバブルの時代がジワジワと近づいていた。会社でも海外生産や、新規事業への進出が続き、新聞紙面を賑わせることも増えた。会社のロゴやマークを変える、いわゆる「コーポレート・アイデンティティ(CI)」をおこなった時は、忙しさのピークだった。

 ところが、バブルが崩壊してしばらくすると「ツケ」がいろいろと出てくる。決算資料作りも言い訳が多くなるのは仕方ないが、社員の使い込みなどの不祥事の後始末にも追われた。
 そんな中で、Nさんはコツコツと仕事をこなした。そして、主要工場の総務部門の課長として赴任した。

 このポストは、とても重要だったので誰もが「栄転」だと思った。ところが半年も立たないうちに、工場の閉鎖が発表される。
 「あらかじめ“後始末要員”として行かされたのか……」
 そんな噂が飛ぶ中、Nさんはここでも地道に頑張った。契約社員の再就職の世話などにも汗を流した。しかし、それは会社の評価対象というわけではない。
 本社に戻ったNさんは、総務や人事部門で仕事を続けた。部長になってもおかしくはないキャリアだったが、最後のポストは管理課長だった。

 総務時代は、役員の不始末の尻拭いなどをしたとも言われる。
 「Nさんは“知り過ぎちゃった”んじゃないか」
 それもまた、ありがちな噂だった。しかし、本人はいつも淡々としていた。

「幸せだった」と言い切れる理由

 そんな経緯で、Fさんの部で管理を任されていたNさんだったが、やがて定年退職の日が近づいて来た。
 60歳を過ぎても働き続ける人も多いが、Nさんはスッパリと辞めるという。グループ会社への再就職ポストもあったのだが、それも辞退した。
 (まあ、いろいろ大変な会社人生だっただろうからな……)
 Fさんは、そんな風に思っていた。だったら、送別会はちゃんとしてあげたい。いろいろと調整していると、「ぜひ出たい」という人があちらこちらの部から出てきた。そこで、大きめの会場で立食のパーティーとなった。

 当日は盛会だった。若手の社員が、代わる代わるにNさんの所へ挨拶に行く。Fさんにはちょっと意外な気もしたが、どうやらみんないろいろと面倒を見てもらったらしい。
 今年の新入社員までこんなことを言う。
 「いやあ、Nさんは人徳がありますよ」
 なんでお前がそんな偉そうなことを言うんだ、という言葉を飲み込みながらFさんは苦笑いをしていた。自分の知らないところで、さまざまな働きをしてくれていたのだろう。
 そして、Nさんが最後の挨拶に立った。

 その挨拶は、Fさんにとって、いやその場にいる全員にとって印象的なものだった。
 Nさんは、まずこう言った。
 「ありがとうございます。いま、思うと私の会社員生活は本当に幸せでした」
 ただ、それは単なる形式的な挨拶ではなかった。
 「ベテランの方は、耳にしたことがあるでしょう。私は『貧乏くじ』をひいている、と。傍から見たらそうかもしれません。でも、仕事ってそういうものではないんです」
 穏やかなNさんが、こんなに力強く話す姿を見た人はいなかった。Nさんが入社以来の経験を淡々と話し始めると、会場は静まり返った。