再就職でイキイキとした妻
12月になると、何かに煽られるように慌ただしい気分になる人は多いだろう。そして、一年を振り返ってしみじみすることもあるかもしれない。
いまのGさんにとっての12月は、圧倒的に「しみじみ」だ。50代前半だが、勤務する金融機関ではグループ会社に出向している。同期では、まだ本社で「最後の直線レース」に賭けている者もいるが、Gさんは今の環境に満足だ。
そのきっかけになったのが、数年前の12月のできごとだ。
その年の春、Gさんの妻S子さんは仕事を再開した。2人は職場結婚だったが、出産を機にS子さんは退職。転勤も多い会社だったし、当時はそれが「常識」という感じでGさんには抵抗はなかったし、S子さんにも不満はなさそうだった。
それから20年以上が経ち、一人娘が大学に入ったのを機会にS子さんにもかつての同僚から声がかかった。最近はかつて働いていた社員を再雇用する動きがあり、職場に復帰している人も段々と増えていたのだ。
契約社員だし、勤務先はグループ会社だがS子さんはすぐに決断した。何よりも復帰した友人たちが、みんな元気そうだったことが決め手だった。
S子さんの復帰は、Gさんにとっても嬉しかった。そして、もっとも喜んだのは娘だった。「女性でもずっと働く」ことが当たり前の時代に、母親の働く姿はとても頼もしく見えたらしい。
そして、S子さんはイキイキと働いて、ちょっと忙しくなった毎日を楽しんでいるようだった。
ところが、その年の12月にちょっとした「事件」があった。
その日は金曜日で、GさんもS子さんも、それぞれ職場の忘年会だった。先に帰ったのはGさんだったが、S子さんも程なくして帰ってきた。
お互い、そんなに酔っていたわけではない。夜のニュースを見ながら、お茶を飲み、世間話をしていたらS子さんの様子が途中で変わった。なんか、不機嫌になったように感じられたのだ。
(何か変なこと言っちゃったかな……)
気になったGさんだったが、その日はそれ以上気にすることもなかった。
何気なく口にした「楽しいラクな職場は、いいよなあ」
ところが翌朝になってもS子さんの様子がおかしい。長年一緒にいれば、時にはそういうこともあったし、Gさんは取り立てて気にしなかった。ところが、日曜になって娘から話しかけられた。
「お父さん、ちょっといい?」
S子さんが近所に出かけている間を狙ったようだった。そして、その話はS子さんの「不機嫌そうな様子」についてのことだった。
娘は、「お母さんの気持ち」をGさんに伝えようと思ったのだ。
どうやら、金曜日の夜にGさんが何の気なしに言った言葉が「原因」だという。それは、S子さんの仕事についてのことだった。
「楽しいラクな職場は、いいよなあ」
忘年会帰りで楽しそうなS子さんを見て、何気なく口にした一言だった。ただ、S子さんの心には“引っかかった”。自分としては「第二のキャリア」として、それなりに懸命だったからだ。
長いブランクの間に、社内のルールも雰囲気も変わり、専業主婦時代に遅れてしまったパソコンのスキルも身につけなくてはいけない。そうした苦労をしながら、ようやくたどり着いた年末だったのだ。
それなのに、夫は「楽しくてラク」としか見てくれない。それが悔しかったのだ。
娘は、Gさんに対してこんな風に言った。
「お母さんだって、いろいろ頑張って、ちょうどホッとしてたんだよ」
別に父を責めることもなく、さりげなく母の気持ちを伝えるその姿にGさんは思わず胸を打たれたという。
「じゃあ、今年はどこかに2人で行けば?」
ところが、娘の「おせっかい」はそれだけで終わらなかった。
その日の夕食は、久しぶりに親子3人だったのだが、やたらと多弁だ。若い頃はクリスマスをどう過ごしたのか?などと訊ねてくる。
じゃあ、お前はどうするんだ?と問い返したい気分を抑えながら、Gさんはいろいろと思い出していた。
ふと気づくと、S子さんの機嫌も直っているようだ。いろいろと話していたら、娘が言った。
「じゃあ、今年はどこかに2人で行けば?」
娘が高校に入った頃から、クリスマスというイベントからも疎遠になった。Gさんにとっては、「忘年会もないから帰宅する日」のようなものだったのだ。
せっかくだから2人でどっか行きなよ、私がいい店探すよ、今からでもネットで予約できるし、と指をスマートフォンに走らせる。
「ここでいい?」と彼女が示したのは、帰宅途中の駅の近くにあるこじんまりしたイタリアンだった。もうこうなると、断るわけにもいかない。
「じゃあ、席だけはとっておくから、後はよろしくね」
こうして、久しぶりに2人きりのクリスマスイブを過ごすことになったのだ。
「仕事ができるって、本当にありがたいのよ」
店に行ってみると、思ったよりもいろいろな客がいた。若いカップルはもちろんだが、年老いた夫婦とその娘夫婦と思われる人たちもいる。そして、Gさんたちのような年頃の夫婦もいるのだ。
「来てよかったわね」
「あの子に感謝しなきゃ」と言いながらすっかりリラックスしたS子さんは、本当に嬉しそうだ。
食事をしながら、話はS子さんの仕事のことになった。忘年会の夜のことには敢えて触れなかったが、そこはお互いにわかっている。
Gさんにとって意外だったのは、S子さんの仕事に対する思い入れだ。いまの彼女の仕事は比較的定型的だし、「家にいるよりは……」くらいの気楽な気持ちで働きだしたと思っていたのだ。
ところが、S子さんはここ何年か「働くこと」をずっと考えていたし、実は出産を機に退職した後も、「もし、辞めなければ……」というちょっとした後悔もあったという。
ただ、会社に残ってキャリアを重ねた同僚がいたわけではないし、学生時代の友人もS子さんと同じような環境だった。
ところが、娘から強い刺激を受けたのだという。
高校に入った頃から大学受験を意識して、当然「将来のこと」についてもあれこれ思いをいたす。どんな仕事に就きたいか?と考える中で、S子さんの会社員時代についても聞くようになった。
「お母さんの働く姿、見てみたいな」
その一言が、S子さんの気持ちを動かしたのだ。
(俺は何も知らなかったんだな……)
そんなGさんの気持ちを見透かすように、S子さんは言った。
「きっとわからなかったでしょうね。でも……」
一息つけた後、笑顔で続けた。
「別に、ものすごくやりがいがあるって程じゃなくても、仕事ができるって、本当にありがたいのよ」
そして、この時の言葉がその後のGさんの決断につながった。
どんな仕事も大切な仕事
その頃のGさんは、迷っていた。本社勤務だったものの、キャリアのゴールはもう見えている。同僚がグループ会社や取引先に出向するのを見ながら、「次は自分」という見当はついていた。
早目に動いて、自分から行き先を見つけるような社員も多い。だが、Gさんは動けなかった。
その理由は、何となくわかっていた。簡単に言ってしまえば、プライドだ。自分で上手に畳めないプライドなら、誰かに潰された方がいいだろう。そんな感覚だったのだ。
あの忘年会の日も、決していい気分ではなかった。年末の慌ただしい中、段々と自分が仕事のラインから外れていることを感じ始めていたのだ。
ところが、イブの日の妻の言葉でハッとした。「仕事ができる」ということは、それだけで感謝に値することではないか。Gさんは、大組織の競争の中で、仕事に優劣をつけて捉えていた。
「どこに行くにしろ、この先は“つまらない仕事”だろう」
Gさんは、心の底でそう思っていた自分を恥じたし、改めて思い直した。どんな仕事も、大切な仕事なんだ。そう自分に言いきかせたら、プライド云々は二の次に思えるようになり、出向先の仕事への“違和感”も失せた。そこで、「どうせなら」と正月明け早々に自ら動いて、4月には出向が決まったのだ。
そして2年後に、Gさん夫婦にとってはとても嬉しいことがあった。娘が就職し、しかも金融機関を選んだのだ。
激変期を経験して、「もう子供たちにこの業界は薦めたくないよ」と言う同僚は多い。しかし、娘はこう言ってくれた。
「お母さんもお父さんも、楽しそうに働いてるし」
「お父さんも、は付け足しだろ?」と言いそうになったが、その一言は最高のプレゼントだった。
だから、Gさんにとって12月は「しみじみ」の季節なのだ。あの夜以来、毎年通っているイタリアンの店とはすっかり馴染みになった。
今年も、クリスマスイブが楽しみだ。
今週の棚卸し
キャリアを重ねるにつれ、責任ある仕事を任されるようになる。ただミドル以降に、多くの人は転機を迎える。仕事の大きさや働き甲斐自体が、ジワジワと「収まるべきところに収まる」ようになっていく。
一方で、かつて退職を余儀なくされた女性が、子育てがひと段落した後などに仕事を再開して頑張っていることも多い。雇用形態や任されている業務はさまざまでも、自分の仕事を大切にして、充実している人も増えてきている。
働き方は違っても、やはり仕事を持つ家族との会話が、自分にとっての仕事のあり方を見つめ直すいい機会になることもある。冬休みもあり、顔を合わせる時間が増える12月は、そうした振り返りにもいい季節ではないだろうか。
ちょっとしたお薦め
いまでもクリスマスシーズンになると必ず耳にする曲の1つが山下達郎の「クリスマス・イブ」だ。そして、彼が1人で多重録音という方法でアカペラに挑戦した「ON THE STREET CORNER2」には、「きよしこの夜」「ホワイト・クリスマス」というクリスマスソングの定番も収められている。
懐かしさにひたってもいいし、家族みんなで楽しむこともできる。豊かな声に耳を傾けてみてはいかがだろうか。
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