幻滅した自分を認めたくない
「それにしても……」とPさんは自問する。なぜ、自分は転職を決断するのに時間がかかったのだろうか?
会社は一定の評価をしてくれた。いまは苦しいけど、次に海外に出ていく時は任せる、とも言ってくれた。それは嘘ではないだろう。
しかし、現実的には可能性が低いことは、誰もがわかっていた。会社を去るということは、Pさんがそれを認めたのと同じことになる。
入りたかった会社に入り、一生懸命頑張ってきた。スポットライトを浴びたこともあった。
それなのに、その会社に幻滅したことを認めたらどうなるのだろう?それは、自分自身に幻滅したことになるのではないか?そんな迷いが拭いきれなかった。
ところが、たまたま行ったセミナーで聞いた話で一気に踏ん切りがついた。それは、「自分自身への幻滅」ではなく、「会社に幻滅した自分」を受け入れたということだったのだろう。
やがてPさんは、転職先で広報担当の仕事をすることになった。前職でのコミュニケーション力や、プレス対応などの経験が買われたのだ。
そして、あのZ教授と再会する機会を得た。どうやら「成功例」の企業として取材をしたいということで、Pさんがまず窓口になった。
会社の応接室で一通りの段取りの話をした後に、Pさんは前職の社名をあげて、あの時のセミナーに出席していたと話した。
Z教授は「そうでしたか」と大きな声をあげて、人懐こい笑顔でこう言った。
「それは、いろいろとお考えになったことでしょう。いや、よかったんじゃないですか」
沢山の企業の実情を知っているだけに、転職の理由を察したようだ。そして、こんなことを言った。
「いや、僕も会社員時代、MBA取得のためにアメリカに派遣されたんですけど、戻ってきてからは想像以上にいろんな波がありましてね。でも、転職となるとそうそう決断はできないものですよ」
Pさんは思い当たることがあった。Z教授の在籍していた会社は、ちょうどその頃に経営を巡って、いわゆる「お家騒動」が起きていたのだ。優秀な方だけに、渦中に巻き込まれたのかもしれない。
「でも、思い切って飛び出てよかったですよ。『人生は一度』という当たり前のことを、あれほど考えた時期はなかったです」
「よく、わかります」と言いかけて、Pさんは言葉を飲み込んだ。そして、「はい、今でも考えてます」と心の中でつぶやいた。
会社でいくら努力して個人的な成果を上げても、経営自体が荒波に巻き込まれ、納得できない処遇を受けるということは誰にでも起こり得る。そして、実力があってもきちんと遇してもらえない時には、どのように道を拓いていくべきなのだろうか?
第一線で奮闘しており実力がある人ほど、さまざまな道を前にした決断に際し、迷いが生じるだろう。
そこで、考えるべきことはただ1つ。「自分と会社はそもそも、互いに独立した存在なのではないか?」という単純な問いだ。それは、傍から見れば当然のことかもしれないが、「一体化」してしまっている人も相当に多いのではないか?会社生活の岐路に立っていると感じたとき、もう一度、改めて自問するべきことなのかもしれない。
■ちょっとしたお薦めキャリアについて包括的に論じ、かつ日本企業の取材に基づき現実的な議論を積み重ねている点で、「働くひとのためのキャリア・デザイン」は大変よく練られた本だと思う。
著者の金井壽宏氏はキャリア研究の第一人者だが、「人の発達」に対しての温かい視線が感じられて、「よりよいキャリア」を目指すだけではなく、「よい生き方」を考えるヒントに溢れている。ミドルの年代になって、改めて読み返したい一冊だ。
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