グローバル化の先兵として海外に赴任

 「グローバル」という言葉が一般的になったのはいつ頃からだろうか。冷戦構造が崩壊して、「1つの世界」という意識が高まり、インターネットの普及が進んだ90年代後半が節目だったかもしれない。

 Pさんは「グローバル時代」の少し前に社会人になった。入社したのは、都市部を中心に展開するファッションや雑貨に強い流通企業だった。流行の先端を行き、世界中の商品を扱っているのでイメージは華やかだ。

 しかし、実際には、デベロッパーとの地道なテナント交渉などがビジネスの核だ。ドメスティック企業の典型なのである。

 Pさんは、そうしたことを知った上で入社していたし、日常の仕事にも大きな不満はなかった。バブルを過ぎたとはいえ、ちょっと知恵を使えば店頭を賑わせることもできたし、いろいろなプロモーションに挑戦して成果も上げていた。

 やがて、会社でも「グローバル」の掛け声がどこからともなく強まってきた。また、一方でネット通販も注目されて来て、そちらへの進出も準備が始まった。

 ただし、何といっても国内中心の企業である。英語にしても、堪能な人は少ない。海外からの購買を担当するバイヤーは一握りの専門集団で、彼らは社内でも一目置かれる存在だった。

 そうなるとグロバールに業容を拡大するには、そうした人材を育成することになる。Pさんは、そうした候補者の1人になった。

 もともと大学時代に交換留学で米国に滞在していたこともあり、同世代の中では比較的英語ができる方だった。テストのスコアに目をつけた人事部がリストアップして、語学を中心とした研修を受けることになった。

 そして、海外展開の担当になった。当時急成長していたアジア地域への出店を計画することが主な任務である。何度も現地と日本を往復して、30代半ばには現地に赴任した。

 会社には同じようなキャリアを辿った「グローバル人材」の仲間たちが他にもいた。しかし、Pさんを含めてその後の道のりは波乱が多かった。