記者やライターに後押しされて決断

 そんな中、全社的な変化があった。社長が交代したのだ。
 「出る杭は伸ばせ」と引っ張ってきた社長が勇退して、後任はコーポレート部門出身の手堅い官僚タイプだった。

 部長クラスが、まず浮足立っていく。Rさんの耳には入ってこないが、相当の大きな動きがありそうなことは感じられた。
 そして、「その日」は唐突にやって来た。

 組織変更と人事異動が同時に発令されて、Rさんの部門は大幅に縮小され、Rさん自身も古巣の営業に戻った。
 しかし、「噂」だけは消えなかった。みな、Rさんとは距離を置き、アプリの話を避けているようだ。しかも、昇進したわけでもない。部長からは、こんなことも言われた。

 「まあ、今までのことはいったん忘れろ」
 いったい、自分の努力は何だったのだろうか。会社はRさんの業績を抹殺しようしているようにさえ感じられた。
 (本当にこの会社にいるべきなのだろうか……)
 転職サイトに登録しようとした頃、声をかけてくれたのはかつて取材に来てくれた人たちだった。
 Rさんの異動を、心配してくれていたのだろう。大手メディアではなく、新しいネットメディアの記者やフリーランスのライターだ。会ううちに、Rさんはいろいろと社内で起きたことを話す。

 Rさんが、新興のIT企業に転身したのは自然な成り行きだった。
 ただし、心の中のモヤモヤは消えなかった。あの、噂とは何だったのだろう。そして、組織変更と異動は、どう関係していたのか。もう確かめる気もないまま、Rさんは新天地へと旅立った。
 職場の送別会も、どこかよそよそしかったが、Dさんをはじめとした同期の有志が集まってくれた夜だけは、心置きなく楽しめたことが今でも印象に残っている。

 一段落した今でも、Rさんはふと考えるという。
 それにしても「出る杭は打たれる」なんて、いったい誰がどうして言い出したんだろう?と。

■今回の棚卸し

 より良い仕事をすること、つまり仕事の質において「高い成果」を目指すことは当然のことだろう。ところが、頑張った結果として組織の中で「浮き上がる」こともまた往々にして起きる。

 近年はネットメディアの増加により、会社員でも取材を受ける機会は増えているが、それがきっかけになって色眼鏡で見られることもあるようだ。

 しかし、そうして狭量な組織の将来性は限られているのではないか。「成果を上げたら窮屈になる」ような状況であれば、今回のRさんのような決断も十分あり得るはずだ。

■ちょっとしたお薦め

 「出る杭は打たれる」という言葉は何とも日本的な感じもするが、ちょっと視点を変えて美術史における「出る杭」を味わってみてはいかがだろうか。

 辻惟男『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫)は、伊藤若冲や中村国芳など異端と見なされた画家たちを焦点を当てた一冊だ。

 いまでは展覧会では大人気の画家たちの作品が、図版とともに紹介されており、日本美術に関心がある人には格好の入門書だ。また信念を貫いたそれぞれの生き方も興味深い。

 なお、本書でも紹介されている 長澤蘆雪の展覧会が、ちょうど愛知県立美術館で開催されている。機会があれば、足を運んでみるのいいだろう。