この歳の転勤は「2つに1つ」
それは、Cさんにとってある意味予想通りの辞令だった。間もなく50代というタイミングでの地方転勤。本社の管理畑と営業スタッフを行き来しながらキャリアを積んできたCさんは、支社長代理として赴任する。
本社に戻ってきた時には、管理職ポストを外れることになるだろう。自分の会社生活もなんとなくゴールが見えてきたかなと感じた。
いろいろな人に挨拶に行ったが、もっとも印象的だったのは人事部のJさんの言葉だ。Cさんの10年ほど上で似たようなキャリアを歩んできた。最近まで人事部の次長だったが、そろそろ定年待ちのポジションにいる。
いろいろと話していると、別れ際にJさんが言った。
「まあ、50歳くらいで転勤したヤツは2つに1つだから」
何が「2つに1つ」なのか。人事畑の長いJさんは、こういう時にあまりハッキリとは言わない。だが、Cさんは何となくわかった。
「まあ、オマエなら元気にやっていけるはずだけど」
Jさんは、そう付け加えた。
Cさんは、それ以上聞かなかった。このくらいの年齢で地方に行った人のその後は両極端だと感じていたのだ。
仕事はしっかりとこなしながらも、地方の街の良さを満喫してイキイキとしている人の話は結構耳にする。一方で、なんか音沙汰がないなと思っていたら、早々に戻ってきて、本社の片隅でひっそりしている人もいた。Jさんはきっと色々な人を見てきたのだろう。
しかし、あまり気に病んでも仕方がない。Cさんは、新天地へと向かった。
転勤で生活の再構築に成功
結果的にCさんにとってこの転勤は、「贈り物」のようなものだった。
赴任した支社は東阪名に続く規模で、仕事の張り合いとしては十分だ。一方で、街は住みやすく通勤は楽で、休日に足を伸ばせば自然を満喫できる。
久しぶりに釣りを始めた一方で、新しい趣味として「茶道」を始めた。支社内にサークルがあったのだが、もともと盛んな土地柄で近くには焼きものの産地もある。会社を離れて「茶飲み友達」も増えた。
最初は単身だったが、子どもが就職したのを機会に奥さんも合流したので、2人だけの新しい生活も新鮮だった。
予定の5年を迎えた時点で「もう少し」と赴任期間を延ばしてもらったが、その後、「さすがに戻ってこい」と言われた。
さて、次はどうするか。ある程度の希望は会社にも言うことができる。50代半ばとなって、管理職は後進に譲ることになるが、できれば「みんなの役に立つ仕事」がしたいと思った。
誰かに相談しようかと思った時、迷うことなくJさんの顔が思い浮かんだ。直接会う機会は減ったが、近況はわかっている。グループ会社での役職も終えたようだから、時間はあるだろう。
連絡をとって、会うことになった。じっくり話すのは久しぶりだ。
いろいろと互いの近況を話しながら、ふとCさんは転勤前に会った時のことを思い出した。
「50歳くらいで転勤すると、そのあとは『2つに1つ』とおっしゃいましたよね?」
「ああ、そうだったな。で、オマエは大丈夫だったろ?」
Jさんが「予言」したとおり、Cさんは地方勤務を十分に生かすことができた。何より視野が広がったし、「会社員発想」がいい意味で薄くなったと自分でも感じられた。
しかし、『2つに1つ』のもう片方、つまり「うまくいかなかった」同世代が結構いたのも事実だ。転勤先に馴染めず、場合によっては体調を損ねるものもいる。それぞれの事情はよく分からないけれど、何か共通点があるのではないか。
本社でいろいろなケースを見ていたJさんなら、何か手がかりのようなものを知っているのかもしれない。その辺りの事情を、Cさんは訊ねてみた。
自分を「緩められない」50代
Jさんは、思わず唸った。
「ううん、そうだなあ……少なくても能力的なものではないと思う」
ただし、と一拍間をおいてからこう続けた。
「何というか、自分を『緩ませる』ことができなかったんだよ」
支社に行けば、東京のような慌ただしさはない。ところが、どうしても居心地が悪い。時間にゆとりがありすぎて、持て余してしまう。ついつい、本社との違いばかりが気になる。
若い頃に支社経験をしていたとしても、齢をとってからの赴任は、居心地が違ってしまうようだ。そして、支社生活を満喫している同世代とは話が合わなくなって、孤独感を深めていく。
「さらに、『オレはまだまだやれるのに…』とか思っちゃうと、ますますややこしくなる」
Jさんはそう続けた。
つまり、「もう一旗揚げよう」となって空回りするわけだ。Cさんの周囲を見回しても、たしかに思い当たる人はいる。
「あとは、体の変調もけっこう多いんだよね。単身で食生活が乱れるケースは、前からあったけど、ここに来てメンタルの不調も増え続けてるはずだよ。50歳前後ともなれば経験豊かだから大丈夫だろうと思っていたけど、どうやら違うみたいなんだ」
会社のために一所懸命に働いてきたのに、最後の数年で「着地」に失敗するのはあまりにも忍びない。とはいえ、ビジネス生活の長い50代に対して、あれやこれやと世話をしようという発想はいまの会社には希薄だ。
定年後の生活を想定したセミナーは開いたとしても、「キャリアの仕上げ」を考えるのは個々人に任されている。
Cさんは、おもむろに問いかけた。
「たしかに、ベテランはたくさんの経験をしています。でも、どんな経験をしていても“先が見えてきた50代”というのは初めての経験なんですよ」
40代までのように、今までの蓄積がうまく生かせるとは限らないのではないでしょうか、と続けるとJさんは大きく頷いた。
聞いているうちに、Cさんは自分のするべきことが見えてきたような気がした。
50代の働き方を見直す仕事に
会社との面談に臨む時点で、Cさんの意志はハッキリしていた。社員のキャリア構築、特にいままで個人任せになっていたミドル層を主たる対象に「再構築」を支援してみたいと思ったのだ。ちょうど、全社を挙げた「はたらき方改革」のプロジェクトが動き出そうとしていた。
メディアでは、ワークライフバランスやダイバーシティーなどの横文字が躍る昨今だが、Cさんの問題意識はシンプルだ。「ミドルの働きがい」を考えて、何らかの施策が打てないかと思ったのだ。
人事担当の役員とは面識もあったし、問題意識は理解された。ただ「あまり慌てないでいいから」とも言われた。最優先は子育て世代のバックアップだし、ミドル対象の施策までの予算は用意されていないようだ。
それでもいいだろう、とCさんは割り切った。まずはじっくり研究してみたい。Cさんのアタマに引っかかっていたのは、Jさんから聞いた「自分を緩ませる」という話だった。それができる人とできない人がいる。なぜだろう?個々人の才覚の違い、ということにしていいのだろうか?
そもそも、組織としても「全体を緩ませる」ことはあっていいのではないか。単純に仕事量を減らすということではなく、仕事の目的やスタイルを再構築した結果として、そうなるという意味で…。
また、職場が「ギスギスしている」と社員のメンタル不調が増えたりし、業務効率やアウトプットも逆に下がってしまいかねない。これは、いい意味での「緩み」が足りないからではないだろうか?
そんな疑問を抱えながら、Cさんの、会社生活における最後のキャリアはスタートした(次号に続く)。
■今回の棚卸し
ビジネスの世界には、一定の緊張感が必要だ。一方で、ミドル世代の多くはキャリアのゴールに向けて、自分を上手に“着地”させていくことが求められる。役職や賃金で報われるとは限らないステージにおいては、モチベーションや仕事の進め方を上手に再定義する必要があるのだ。
一息入れて、こらまでのがむしゃらに働いてきた自分を「緩ませること」を意識してみるといいだろう。次のキャリアに向けて再出発を切るには、改めて冷静な自己分析が必要になってくるのだから。
■ちょっとしたお薦め
今までの仕事生活から距離をおいて、これからの生き方について考えるなら、もう一度若い頃のことを振り返ってみるのもいいだろう。
そんな若い時の気持ちを思い起こさせてくれるのが、北杜夫の「どくとるマンボウ青春記」だ。シリーズの中でも傑作と評価されており、若い時に読んだ人も多いだろう。いま大人になってから読み返すと、「もっと自由に考えればいいのかな」という新鮮な気持ちになる。ぜひお勧めしたい。
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