金メダル主義だから疎まれる

 働いている限り、誰だって自分の仕事にはささやかな誇りを持っている。別に世界一にならなくても、自分自身にとっての「金メダル」のような体験の記憶は、心の中にそっとしまってあるものだ。

 ミドル世代が語りたがる「武勇伝」のようなものといえば、何となくお分かり頂けるだろう。そして、そういう話は20代後半から30代半ばくらいまでの出来事であることが多い。

 プレイヤーとして、ある意味無邪気に働き、頑張っても疲れを感じなかった頃の記憶はいつまでも印象に残っている。

 一方、キャリアを重ねることで、段々と仕事の難易度も上がり、評価されにくいマネジメント業務も増えてくる。そうなると、「語れる仕事」も減ってきて、過去の「金メダル」の記憶だけが微かに残るようになっていく。

 もちろん、歳を重ねても「金メダル」を取り続ける人もいるが、それはほんの一握りの存在だ。多くの人は、いわば「ブロンズ・コレクター」のようになっていく。満面の笑みをたたえられるほどの飛び抜けた実績を残すわけではないが、”努力賞”には値すると思われる仕事を積み重ねていくわけだ。

 そう書くと、ちょっと暗いイメージになるかもしれない。しかし、それが組織の仕組みだ。つまり、1つの「金メダルの仕事」は、たくさんの「銅メダルの仕事」で成り立っている。1人の金メダリストを、多くの銅メダリストが支えている。

 その辺りは、オリンピックとはちょっと異なる。銅メダリストの広い裾野が企業の土台なのだ。

 昔の武勇伝を話しては煙たがられる先輩は、どの職場にもいる。それは後輩にとってつまらない話だから嫌がられているわけではないと思う。過去にばかり目が行って、今の仕事の価値、つまり「銅メダルの重み」を理解していないことが、疎んじられる理由なのだろう。

 別の言い方をすれば、キャリアを重ねることは、さまざまな仕事の価値を理解し、認める過程なのだと思う。