銅メダルが持つ独特の重み

 リオデジャネイロ・オリンピックの熱戦の日々が終わった。日本勢の活躍も目立ち、話題になった競技も多かったと思う。

 オリンピックは勝負自体ももちろん面白いのだが、表彰台の光景もまた興味深い。メダルを手にした選手は実にいろいろな表情を見せてくれる。そこには、単なる勝ち負けや記録を超えた思いがあるように感じられるからだ。

 金メダルを獲れば、文句なしに笑顔だ。

 銀メダルの場合は、「敗れ方」によって感情は異なるように見える。完敗であればかえって清々しいが、僅差であれば後悔もあるだろう。

 そして、もっとも多彩な表情を見せてくれるのが銅メダルだと思う。

 より上を期待されている選手にとっては、辛いものがあるはずだ。一方で、その競技のメダル獲得自体が「日本初」だったりすれば、心底嬉しそうにしている。

 また、逆境から復活した選手にとっては、何にも代えがたい重みがあるだろう。

 銅メダルの輝きをどう感じるか?

 それは、その競技の歴史や個人の道のりによって大きく変わってくるのだと思う。

 トップアスリートがオリンピックに臨むときの心境は、とても想像がつかない。ただし、戦いが終わって結果が出た時と同様の心理は、私たちも日々の仕事の上で感じているのではないだろうか?

 そして、「銅メダル」を噛みしめなくてはならないことも結構多い。

 オリンピックに選ばれた選手なら、銅メダルを悔しがることもあるだろう。しかし、私たちは「銅メダルの仕事」こそを大切にしなくてはならないと思う。

 今回は、私がそう考える理由について、お話ししたい。