「きちんとしてる」は美徳と思っていたのに
「働く」と「休む」は表裏の関係だ。
働く時に集中力の高い人は、休む時もきちんと休む。一方で、仕事がダラダラしている人は、休みきれずに疲れも取れない。
そういう評価が当たり前の時代になってきた。
そこで今回は夏に合わせて、もう一度「休み方」について考えてみたい。特に、会社で重要な位置にあるミドル世代にとっては、自身の働き方は周囲にも大きな影響を及ぼし、時には評価にもつながってくる。
単に「仕事ができる」だけではなく、「働き方全体」が問われている。それは、ちょっと大げさだがそれぞれの「生き方の哲学」が問われることでもある。
まずは、「休み」でつまづいてしまったWさんのケースだ。
Wさんの勤務先は、インターネットサービスを中心としたいわゆるIT企業だ。大手メーカーの系列だったが、その後に業界再編の影響を受けて経営陣も大きく変わった。
社員も入れ替わり、雰囲気も若々しくなった。もともとの顧客基盤がしっかりしており、業績も安定しているので転職市場での人気も高い。
管理職になって数年が経つWさんの特徴は、「きちんとしている」ことだ。
納期と品質をキッチリと維持することが、最大の目的であり、「仕事とはそういうものだ」という環境で育ってきた。
その一方で、少々心配性なところがある。これは、環境というよりももって生まれた性格なのだろう。少しでも予定がずれそうになったりすると、担当者に細かく聞きたがる。
ましてや取引先から問い合わせがあったりすると、相当神経質になる。相手がそんなに急いでいなくても、Wさん自らが慌てて担当者を追い掛け回す。
周囲の人も「まあ、Wさんはそういう人だから」とあまり気にしてはいなかった。実際に彼が管理する仕事は、きちんと成果を上げていたのである。
ところが、意外なところで彼に逆風が吹いた。きっかけは「夏季休暇制度の変更」だったのだ。
「休めない上司」というマイナス評価
かつて「メーカーのグループ会社」という位置づけの時の夏季休暇は、いわゆる「お盆休み」の一斉休業だった。親会社に合わせていたのである。
しかし、経営主体が変わり取引先も増加すると、この方式の問題が目立ってきた。さまざまな業種の動きに合わせて、ビジネスを組み立てるためには、休暇制度も柔軟な方がいい。
そこで一斉休暇に代わって、「フリー長期休暇」という制度が導入された。
時期も長さも自由で、あらかじめ申請すればよい。基本は一週間だが、もっと長い人もいるし、お盆などのピークを避けることもできる。
若い人を中心に好評ではあったものの、古くからの社員はいままでの習慣でお盆の頃に休むものも多かった。
Wさんは、この制度が苦手だった。自分の休みはともかく、部下がバラバラと休むと、担当しているプロジェクトのことがやたらと気になるのだ。
進捗をチームで共有して、いざという時には連絡できるようにする。それを徹底することは誰でもやった。とはいえ、それ程緊急のことは滅多に起きない。しかしWさんは心配症だ。
取引先から問い合わせがあっても、「休みを頂いてます」と言えない。ついつい「連絡させます」と対応してしまう。
休暇中の部下のスマートフォンにやたらと連絡するから、休んでいる方も落ち着かなくなる。最初は「まあ仕方ないか」と思っていた部下も、段々と苛立つようになってきた。
ある時は海外まで追いかけれらた部下が慌てて連絡したところ、料金システムを勘違いして莫大な通信費を請求されたこともあった。
こうなると、さすがに不満が溜まってくる。
しかもその時は、休暇だけではなく、広く人事システムの見直しをしている頃だった。いわゆる360度評価が導入されていたのだ。
「きちんと進捗管理をしている」というWさんの評価は、「適切な権限移譲ができていない」と見なされるようになっていく。
間もなくWさんは現場の一線を外れて、管理部門に異動した。傍から見ると、彼に合ってる「順当な」異動にのようにも見えたが、実は「柔軟な働き方のマネジメント」ができなかったことが原因だったのだ。
大不況の「社内失業」を追い風に
その一方で、「休み方」を一新したことで新しい仕事の仕方を切り開き評価されるようになった人がいる。
広告代理店のクリエイティブ部門で、多くの部下を率いるOさんは、ある年の夏に仕事上の転機を経験した。しかし、それは仕事がきっかけではなく「休み」がきっかけだったのだ。
TVCMを制作する仕事は、多忙で不規則だ。毎日決まった時間だけ、働くわけではない。海外ロケになれば辺鄙なところまで行くことも多く、移動時間だけでも相当なものだ。
編集になると遅い時間まで粘るし、企画のプレゼンテーションの前にはプレッシャーもかかる。
当時売れっ子ディレクターだったOさんにとっての夏季休暇は「あってないようなもの」だった。それが当たり前だったし、子どもの夏休み中に近場の海にでも行ければ「上出来」だと思っていたのだ。
ところが今から数年前の金融不況の後に、入社以来の「恐ろしいほどヒマな夏」がやってきた。
いわゆる「リーマンショック」が広告業界を直撃したのだ。Oさんの担当していた自動車会社の広告予算は大幅削減になり、他の得意先も広告出稿を手控えた。
そのため、7月になってもOさんのスケジュールはスカスカだった。
いわゆる「社内失業」の状態になって、さすがに不安になる。上司に相談しても、「まあ、たまには休めばいいんじゃないか」としか言わない。
考えてみれば、有給休暇も相当たまっている。「じゃあ、ホントに休みますね」と宣言して、2週間たっぷり休むことにした。
家族で旅に出て、妻の実家に帰省して、近所のプールでゴロゴロしているうちに2週間はあっという間に経った。
「何かあったらいつでも連絡してくれよ」と周りには言っておいたが、何の音沙汰もない。そして、出社してみたら意外なことがあった。
実はOさんの不在中にCM企画の提案があったのだが、部下がきちんと仕事をこなしていたのだ。
この休みをきっかけにOさんの仕事ぶりは変わった。遅くまで仕事をせずに、部下に任せて帰るようになった。すると、チームに活気が出てくるのが目に見えてわかった。
「休む上司」の下で若手が育つ
実は、休み明けのOさんは、部下が仕事を進めていたことに一瞬焦ったという。
「やっぱり休んでいると、自分の居場所がなくなるんじゃないか?」という感覚だ。しかし、思い切って発想を切り替えることができた。
これだけ休んでも仕事は回るんだから、休んだ方がいいんじゃないか。それに、やっぱり長い休みはリフレッシュできる。その良さを実感できたことが大きかった。
その年から、Oさんの「長い夏休み」は恒例になった。8月に殆ど出てこない年もあったが、「そういうものだから」とまわりも気にしなくなる。
そのうちに「あのチームは若手が育つ」という評判になってきた。Oさん自身が働く時間が短くなるのと反比例するように、社内評価が上がりマネジメントを任されるようになった。
CMづくりの第一線からは離れたけれど、リーダーとしての存在感はさらに強くなっている。
「いかに働くか」ではなく、「いかに休むか」。あるいは「いかに上手に休ませるか」が、大切になってきた。それが、会社員特にミドル世代の評価につながりつつある。
夏は、自らの仕事と生活を考え直すいい機会かもしれない。
今週の棚卸し
「働き方改革」の波の中では、いろいろな試行錯誤がある。ことに「上手に休暇を使えるか」というのは、その人の能力だけで決まるものではない。Wさんのように心配性の性分が治らなかった人もいれば、Oさんのように発想を切り替えられた人もいる。
うまく休めない人は、一度その原因を自分なりに考えてみてはどうだろうか。「業務が多いから」「自分がいないと仕事が回らないから」という“理由”は、往々にして思い込みであることも多い。
休暇期間は、自分を知るいい機会でもあるはずだ。
ちょっとしたお薦め
働き方について考えるのであれば、時短や生産性のような現実的な課題だけではなく、「そもそも働くとは?」という根本的なテーマについて思いを巡らすことも大切ではないだろうか。
今回は、ちょっとヘビーであるがマックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をお薦めしたい。
学生時代にチャンレジした人もいるだろうが、中山元氏による新訳は読みやすく、注釈も豊富だ。
第2章1節がキリスト教各派についての詳細な考察になっており、ここは少々手こずるかもしれない。ただしこの部分を理解しきれなくても、その後の展開は明快だ。
腰を据えて読む時間があれば、ぜひ挑戦してみてはどうだろうか。
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