「休暇が楽しみでない」人に共通するある傾向
JR東海が「日本を休もう」というキャンペーンを行ったのは、バブル末期の1990年だった。それから四半世紀が過ぎたけれど、まだまだ日本人は休むのが不得手のように思える。
ことにミドル世代から「どうしていいかわからない」という声を聞くことが多い。子どもが小さい頃は、あたかも仕事のように「やらねばならぬ」気持ちで夏休みを迎えていた。
先のBさんも「自由が与えられた時、自分で何も考えてなかったことに気づいた」という。
先日、日経ビジネスオンラインにこんな記事が掲載された。「残業が減らないのは家に帰りたくないから」というタイトルで、「働き過ぎ」のテーマを新たな視点で分析している。ご覧になった方もいるだろう。
この中では「帰りたくない理由」を多面的に分析しているが、「帰ってもろくなことがない」という説が新鮮で、かつ納得度が高かった。
本文中にも「身も蓋もない理由」と書かれているが、これを解決するのは難しい。何といっても会社の外の話である。
そして、この気持ちは夏休みのような休暇でも当てはまるのだろう。「休んでもろくなことがない」という人にとって、長い休みは苦痛になる。
こういうタイプの人を観察していると、共通のことに気づく。自分の仕事に過剰な使命感を持っている。以前のBさんもそうだったのだろう。
しかし、それは「仕事に逃げている」ことでもある。与えられたプログラムをこなして満足しているので、“宿題”のない空白の休暇が怖くなるのだ。
かつて「会社人間」という言葉がよく聞かれた。いかにも昭和な響きがするし、「自分はそんなことない」と思っているかもしれない。しかし、実態としてはまだまだ多い。そして、ミドルになってからそのことに気づく。
しかし、与えられた仕事をこなすことで満足を得る会社人間から脱皮するのに遅すぎるということはない。長い休暇は「やることを自分で考える」ための大きなチャンス。
ちょっと大げさだが、「自立のきっかけ」にもなるだろう。そして、Bさんのように仕事にも好影響をもたらすことも、きっとあるはずだ。
ネットのおかげで、直前でも“穴場”はまだ見つかる。一泊でもいいから、一人でふらりと「自分だけの休み」を楽しまれてはいかがだろう。
与えれた仕事をこなしている会社員にとって、「自由」な休みは、過ごし方を自分で考えなければならない分、時として手持ち無沙汰になってしまう。子育てという家庭内の“仕事”がひと段落つく年代になると、特にそうなりがちだ。
休みを持て余し気味になってきたと感じられているなら、ぜひ一度、休みの過ごし方を見直すことを薦めたい。自分がやりたいことを再発見する機会となり、仕事と私生活の好循環が生まれるきっかけになることも多いのだから。
■ちょっとしたお薦め夏休みに読む本を選ぶのはなかなか難しい。話題の新刊を読んでみたいと思う方も多いだろうが、休みだからこそ、学生気分になって古典の再読も面白い。さまざまな発見があるはずだ。
夏休みの冒険気分とあいまって、「完訳 ロビンソン・クルーソー」はぜひ一度読んでおきたい。さまざまな訳が出ていて迷うところだが、中公文庫のものが新しくて読みやすく、かつ電子書籍(kindle)も配信されている。
子供向けの絵本ではわからない、「働くこと・生きること」の価値がわかるし、経済史を見直すきっかけにもなるだろう。
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