40代後半に訪れた“不完全燃焼”の夏休み
今年の8月のカレンダーを見た時、「あれれ?」と思った方は結構いらっしゃったのではないだろうか?そう、今までにない「11日」が赤くなっているのだ。2016年から国民の休日になった「山の日」である。
この「山の日」をいつにするか?という議論の際には、「お盆休みをより長くとれるように」という意図があったという。いわば国による「休みのすすめ」だ。
ところが、せっかくの夏休みを持て余してしまう人もいる。Bさんがそうだった。
40代半ばになって、子どもが中学に上がったくらいから、様子が違ってきた。部活や塾で時間をとられるし、そもそも親と旅行に行きたがらない。祖父母の家はそう遠くないが、段々と足が遠のく。
それよりも友達と花火を見に行ったり、街へ行きたがる。まあ自分もそうだったし、周りの話を聞いても似たような感じだ。
とはいえ、改めて予定を立てるにしても、なかなか取っ掛かりがない。奥さんとは決して仲が悪いわけではないが、久々の「夫婦旅行モード」になれないのである。休みとなると子ども中心にプランを考えていたのだ。
そんなわけで、ちょっと近場に行ったり映画を見たりとか、不完全燃焼の夏休みを過ごしていた。
しかし、50を過ぎて子どもたちが大学に入った年に、Bさんはちょっとした「決断」をした。久々に一人旅に行こうと考えたのだ。
奥さんの返事はあっけなかった。
「あらいいんじゃない、じゃあ私も……」と友人と旅に出る算段を始めた。まるで、こちらが言い出すのを待っていたようだったという。
一人旅の意外な効用
50歳を過ぎて始めた「大人の夏休み」は、やがてBさんにとってなくてはならないものになった。行先の多くは国内で、予定は極力抑える。宿ではゆっくり本を読み、眠くなったらゴロンと昼寝をする。
地方の街で、一人で居酒屋に入って飲むのも面白い。まるでどこかのテレビ番組みたいだよな、と思いながら地の物を食べるのも存外に楽しかった。
良かった場所は、後から奥さんと行ったりもする。夏休みに限らず、週末に近郊を歩くことも増えた。
そのうちに、Bさんに変化が訪れた。仕事のことで、深く思い悩むことが減ったというのだ。
Bさんの仕事は営業管理と言われる部門だった。第一線ではないが、社内調整にあれこれと気を遣う。一方で、自分の将来を考えるといまさら役員になれるとは思えない。おそらく、50代半ばでグループ会社へ出向となるだろう。
自分のキャリアが何となく見えてしまう一方で、仕事の難易度はそれなりに高い。イライラしてストレスが溜まっているなと感じることも多かった。
ところが一人旅を楽しむようになってからは、ピリピリすることが減ってきた。そうなると話しやすいと思われるのか、相談を持ち掛けられることも増えた。そしてスッと解決策を提案するので評判も上がる。
やがて思った通りの出向になったが、想像以上に重要なポジションを任された。会社員生活の「あがり」としては羨まれる方だろう。
「旅をするようになって、自分の生き方や仕事を突き放して見るようになったからかな」とBさんは後から語っている。
旅先で出会ったりする人や、見聞きする話は、今までの自分がいた世界とは全く違った。親子代々で店を営んでいる人や、資料館で出会ったボランティアの人、あるいは小さな宿の若女将など、都市のオフィス勤めでは出会わないような人と話すことが増えた。
大学を出て就職して30年が経って、いかに狭い世界にいたかを実感したという。そうなると、目の前の仕事の見え方も変わる。すごく揉めそうなややこしい話でも、小さな話に見える。
とはいえ仕事を軽んじてるわけではない。目の前の課題を大げさに考えすぎたり、過剰な使命感やプレッシャーから自由になれた。
50歳を過ぎて、改めて視野を広げることができたということなのだろう。
もう一度パジャマパーティがしたい!
夏休みなのに、全然休めない。それは昔ながらの「家族サービス」に疲れるお父さんの話だけではない、小さな子どもを持つ働く女性にとって、その問題は遥かに大変だ。
Jさんは2人の子どもがいる。ようやく落ち着く年齢になってきたが、毎日の多忙さに変わりはない。夫は十分に協力的だが、できればゆっくり羽を伸ばしたいと思うこともある。
似たような環境にある学生時代の友人たちとは、スマートフォンで頻繁にやり取りしてるが夏休みになるとお互いの連絡が途切れがちになる。休みの方が、いつもより慌ただしいのだろう。ことに夫の実家に帰る友人の場合、休み明けに延々と愚痴を聞かされることになる。
そんな仲間で盛り上がったのが、「パジャマパーティをもう一度」という話だった。友達同士で、泊まりに行ってああだこうだと夜通し喋り通す。いわば密室の女子会だ。社会人になってからは、都内のホテルで盛り上がったこともあった。
「もう一度やりたいよね!」となったが、もちろんハードルは高い。夫を説得して子どもと過ごしてもらう。実質12時間程度だけど、さすがに切り出しにくかった。
それをどうにかお互いにいろいろと調整して、やっと夏休みに一泊の「パーティー」を決行することになった。横浜の高層ホテルのちょっと広めの部屋で過ごした夜は、これまでにないリフレッシュにつながったという。
日頃頑張っているからこそ、短い時間を楽しんで気分転換できたのだろう。そして、夫の方は妙に物分かりがよく「また行って来いよ」という。どうやら子ども一緒の写真をSNSにアップして、「今日は子どもと留守番です!」とか書いたら、想像以上に評判が良かったらしい。
思わぬ展開に、Jさんは次の休暇が楽しみになったという。
「休暇が楽しみでない」人に共通するある傾向
JR東海が「日本を休もう」というキャンペーンを行ったのは、バブル末期の1990年だった。それから四半世紀が過ぎたけれど、まだまだ日本人は休むのが不得手のように思える。
ことにミドル世代から「どうしていいかわからない」という声を聞くことが多い。子どもが小さい頃は、あたかも仕事のように「やらねばならぬ」気持ちで夏休みを迎えていた。
先のBさんも「自由が与えられた時、自分で何も考えてなかったことに気づいた」という。
先日、日経ビジネスオンラインにこんな記事が掲載された。「残業が減らないのは家に帰りたくないから」というタイトルで、「働き過ぎ」のテーマを新たな視点で分析している。ご覧になった方もいるだろう。
この中では「帰りたくない理由」を多面的に分析しているが、「帰ってもろくなことがない」という説が新鮮で、かつ納得度が高かった。
本文中にも「身も蓋もない理由」と書かれているが、これを解決するのは難しい。何といっても会社の外の話である。
そして、この気持ちは夏休みのような休暇でも当てはまるのだろう。「休んでもろくなことがない」という人にとって、長い休みは苦痛になる。
こういうタイプの人を観察していると、共通のことに気づく。自分の仕事に過剰な使命感を持っている。以前のBさんもそうだったのだろう。
しかし、それは「仕事に逃げている」ことでもある。与えられたプログラムをこなして満足しているので、“宿題”のない空白の休暇が怖くなるのだ。
かつて「会社人間」という言葉がよく聞かれた。いかにも昭和な響きがするし、「自分はそんなことない」と思っているかもしれない。しかし、実態としてはまだまだ多い。そして、ミドルになってからそのことに気づく。
しかし、与えられた仕事をこなすことで満足を得る会社人間から脱皮するのに遅すぎるということはない。長い休暇は「やることを自分で考える」ための大きなチャンス。
ちょっと大げさだが、「自立のきっかけ」にもなるだろう。そして、Bさんのように仕事にも好影響をもたらすことも、きっとあるはずだ。
ネットのおかげで、直前でも“穴場”はまだ見つかる。一泊でもいいから、一人でふらりと「自分だけの休み」を楽しまれてはいかがだろう。
■今回の棚卸し
与えれた仕事をこなしている会社員にとって、「自由」な休みは、過ごし方を自分で考えなければならない分、時として手持ち無沙汰になってしまう。子育てという家庭内の“仕事”がひと段落つく年代になると、特にそうなりがちだ。
休みを持て余し気味になってきたと感じられているなら、ぜひ一度、休みの過ごし方を見直すことを薦めたい。自分がやりたいことを再発見する機会となり、仕事と私生活の好循環が生まれるきっかけになることも多いのだから。
■ちょっとしたお薦め
夏休みに読む本を選ぶのはなかなか難しい。話題の新刊を読んでみたいと思う方も多いだろうが、休みだからこそ、学生気分になって古典の再読も面白い。さまざまな発見があるはずだ。
夏休みの冒険気分とあいまって、「完訳 ロビンソン・クルーソー」はぜひ一度読んでおきたい。さまざまな訳が出ていて迷うところだが、中公文庫のものが新しくて読みやすく、かつ電子書籍(kindle)も配信されている。
子供向けの絵本ではわからない、「働くこと・生きること」の価値がわかるし、経済史を見直すきっかけにもなるだろう。
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