身の丈に合った金融機関を選んで

 「あの頃は都銀だけで10以上もあったんだよな」

 今でも同年代と会うと、そんな話になることがある。とあるメガバンクに勤めるTさんは、その中でも「中堅」といわれる銀行に就職した。

 都内の私立大学で経済学を学んでいたが、周りの友人でも金融機関へ就職する者は多かった。今から思えば、バブル経済が揺らいできた時期だったが「まだまだどうにかなるだろう」というのが世の中の空気だった。

 その頃は金融機関の数も多く、就職活動をする学生の選択肢もいろいろあった。誰もが名を知っているような、いわゆる「財閥系」の大手ばかりを狙う者もいれば、地元の金融機関に狙いを定めた者もいた。

 Tさんは、あまり規模にこだわる方ではなかった。経済学の勉強は性に合っていて、大学院に行くというほどではないものの、純粋に金融の仕事に関心があったのだ。

 そして、選択したのは「中堅」といわれる金融機関だった。いわゆる上位でないとはいえ、立派な大企業だったし家族も喜んだ。それはまたTさんにとっては「身の丈にあった」選択だと思っていた。

 支店勤めから始まり、転勤も経験して30代になり結婚したころに「異変」は起きた。金融再編の中で、Tさんの銀行も「メガ」になったのだ。Tさんが社会に出てから間もなく、バブル崩壊後の経済状況が「本当にまずいらしい」ということに人々は気づき始め、「まさか」というような金融機関の経営破たんも起きた。

 そういう中での合併は、まだ前向きにも感じられた。「これで安心だ」という者もいたが、Tさんは楽観してなかった。冷静に考えれば「飲み込まれる」のは明らかだ。

 「どうやって生き残るか」

 それがTさんにとっての大きな課題になった。

身をひそめながら得た「勝ち組」ポジション

 明らかに、規模が大きな企業との合併である。メディアには「対等」と言っても、実態は吸収になるだろう。金融機関のコアの業務は、数字の大きさがものをいう。そうなれば、大きな方に属していた人間が主導権を握ることはあきらかだった。

 「数字競争から一線を画す」

 Tさんは、いろいろ考えて異動希望の自己申告を提出した。複数挙げたが、あまり希望者のいない地味なところを選んだ。大波に呑まれるのを避けたかったのだ。

 そして、30代半ばで系列のシンクタンクに異動した。「研究所」という名前で、景気予測などのレポートをつくる部署だ。大学時代から経済学の勉強を面白く感じていたくらいだから、この仕事は性にあった。

 かつての同期はあちらこちらで苦労しているようだし、たまたま本店にいる友人と話すとため息ばかりになる。一方で、研究所のメンバーは出身や経歴にこだわることなく、和やかなムードだった。

 そこで、コツコツと仕事を続けた。金融の世界は相変わらず激動が続き、40歳を超えるころには同期の仲間の行方もよくわからなくなっていた。そういう中で、身をひそめるようにTさんは仕事をしていた。