「予定通り」の脇道コースに入って

 Wさんが勤めていた大手の流通企業は、全国の四方八方にネットワークを張り巡らせている。関連企業も多いので、ずっと本社に残る人は少ない。むしろ、多くの企業からなる複合体のような会社だ。

 だから40代半ばを過ぎた頃に、子会社出向への内示をもらっても驚くことはなかった。物流会社の支社長というのは、ある意味「予定通り」のコースだったからである。

 Wさんにとっての“全盛”時代は、30代半ばに購買を担当していた頃だった、と自分でも思っている。当時は衣料分野でも結構な売り上げがあって、Wさんも新分野に切り込んでいった。自分なりに本を読んだり勉強もしていたと思うし、仲間内から羨ましがられたこともあった。

 しかし、衣料分野は専門店の攻勢で段々と劣勢になる。気が付くと、同僚も徐々に減っていく中、今回の出向辞令を受けた。

 出向する人には、 “改革”に燃えて乗り込んでいく人たちもいる。ただし往々にして、不完全燃焼に終わることも多い。Wさんも、最初は様子見をしながら段々と手を打てばいいだろうと思っていた。

 出向先の支社は、それなりに機能していた。巨大グループを支えているのだから、それは当然のことでもある。ただし、もっとできることはあるはずなのに、メンバーは毎日決まったことをこなすだけだった。

 「たまには、読書会とかしてみたらどうだろう」

 そんな思い付きを古参の課長に話してみたこともあったが、「なるほど、そういうのいいですねえ」と、軽くいなされてしまった。

 どこか歯がゆさを感じつつ、Wさんもまた日常業務を淡々とこなすようになっていった。物流の仕事なので天候異変や事故などのトラブルには気を遣うし、本社からのコストダウンの指示には頭を悩ます。

 それでも全体的には平穏で、だからこそ、物足りなさもあり、エネルギーを持てあますこともあった。