高尾山で体験した世界観の転換

 何かの言葉で人生観が変わる、という劇的な話をたまに聞くことがある。そんな経験があるか?と尋ねられれば「ある」と答えるだろう。まあ「劇的」というのは大袈裟かもしれなが、「目から鱗」というくらいに印象的な体験ではあった。

 それは、別に「すごい人」が語っていたわけでもないし、ビジネスの最前線で体験したわけでもない。場所は高尾山だ。

 天気のいい休日にふらりと出かけて、のんびりと山頂を目指していた。それなりに人がいて、僕の近くには中年女性のグループがいて、世間話に余念がない。

 「○○さんの嫁はきついから」と、どうして山へ来てそんなことを話すのかと思うが、まあ彼女らは、きっといつもそんな感じなのだろう。そして、間もなく頂上という頃に、話が妙なことになっていく。

 「まだ、頂上は遠いのかしら」「そうねえ、ちょっと疲れてきたわね」などと会話が続くうちに、1人がこんな提案をしたのだ。

 「もう、ここが“頂上”ってことにして、お弁当食べない?」

 傍で聞いてて、いったい何を言い出したのか?と思う間もなく「そうしましょう!」と賛同が集まり、彼女たちはシートを広げ始めたのである。

 「ここを頂上とする」と決めてしまうという発想は一体どこから来たのか。しかし、そうやって生きていけばストレスは相当少なくなるかもしれない。人は、「誰か」が決めた基準に従って行動していることが多く、その基準に達しないから、悩んだりする。

 山の頂上も自分で決められるように、日々の仕事の目標も自分で勝手に決められたらどんなに楽か。

 「今日は“達成”ってことにして飲みに行くか」

 そんなことはないだろ、と思うが、あの女性たちはあの時、そういう世界に生きていたのである。

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