ちょっと視点を変えてみると、Xさんは決してプライドを捨てたわけではない。新しい業務にきちんと前向きに取り組み、システムを一から勉強した。
いわばプライドをうまく「畳む」ことができたのではないだろうか。自分の根っこにある誇りは捨てることなく、それをいったん心の底に収める。その上で、自分自身を見つめ直したのだ。
そうやって見ていくと、プライドと言っても、その中身は人によりけりなんじゃないだろうか。
Xさんは自分がこれまで営業で実績を上げたという“過去”から生まれるプライドは上手に畳んだけれど、「任された仕事をきちんとやる」という“自分”へのプライドはしっかりと持ち続けた。一方、Yさんは、“過去”のプライドに固執したけれど、“自分”へのプライドは持っていたのだろうか?
もしも“自分”へのプライドが確たるものであったならば、学び直してでも今抱えている弱みを克服するはずだ。どうやらここに、プライドの自己認識に関する大きな違いがある。
ミドルに限らず、「過去へのプライド」が高い割に、「自分へのプライド」が決して高いとは言えない人は珍しくない。過去の自分がこさえた貯金で仕事をするようになって、周りの変化に対応できなくなってしまう。
あちらこちらに見られる妙なプライドの正体は、これじゃないだろうか。そして、こじれたプライドはいろいろと面倒を引き起こす。
会社員は自分のことを自分で決められるのか?
考えてみれば、「将来目標にする役職・地位は?」などという質問は、新入社員相手だから成り立つのだろう。いざ現場で働いている人みんなが、日々そんなことを考えているわけではない。
定期の人事異動などの時に、来し方行く末に思いを馳せるということくらいだろうか。そして、自問の中身も齢によって変わってくる。
「将来どこまで」という役職や地位の見通しではない。「いったい、これからどんな会社生活を送るのだろうか?」という漠然とした問いに変わっていく。いや、「会社生活」という言葉すらもう陳腐になっていくだろう。
つまり、「これからどう生きて行くか」という話になっていく。
中には役員になり、より重い役割を背負っていく人もいる。でも、いつまでもトップを走る人はまれだ。そしてどんな人でも、どこからかは平坦な道を歩むようになる。
それが、いつ来るかは人によって異なるが、早い段階で考えることが必要になっていると思うのだ。
何歳になったら考えればいいか?と決まっているわけではない。ただし、「会社から言われてから」では遅い。
会社員は「自分で考えて行動する」ことは、存外に少ないのだ。中には就職活動の時が一番考えて行動してた、というような人もいる。これが現実だろう。
そして、自分で考えるのを止めちゃった人ほど、思考の低下に反比例するかのようにプライドが肥大化するのだ。
というわけで、この連載ではいろいろなケースを見ながら、ミドルからのキャリアとの付き合い方をもう一度考えてみたい。まずは、今回テーマにした、「プライド」というのものについて、次回ではもう少し掘り下げてみようと思う。
実は、このテーマはミドルだけの問題ではない。実は若い時から、プライドはじわじわとこじれているかもしれないのだ。
■今回の棚卸し
プライドには「過去へのプライド」と「自分へのプライド」がある。自分へのプライドを大切にする人は、学ぶことを止めないし、プライドの畳み方もうまい。過去へのプライドだけが肥大化する前に一度見直してみてはどうだろう?
■ちょっとしたお薦め
ミドルに限らず、キャリアの中には必ず岐路がある。アタマの中であれこれを思い悩むこともあるだろうが、この岐路をテーマにひたすら絵を描いたアーチストがいる。横尾忠則だ。さまざまなY字路を描いた、「全Y字路」というタイトルの画集も刊行されている。岐路でもあり、合流でもあり……。見る人にとってさまざまな気持ちを呼び起こしてくれる。
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