自分で決断する習慣をつける

 では、多くのミドル世代が守りに入ってしまうのはなぜだろうか?
 会社を飛び出すのは難しいにしても、足元の仕事の仕組みすら変えられないような人はたくさんいる。
 それは、「余計なことを決断しない方が、あるところまでは幸せでいられる」という社会の仕組みが関係していると思う。

 さまざまな問題を抱えているとはいえ、日本の社会は安定的な仕組みを持っている。それは逆に言えば硬直的でもある。
 子供の頃から、「するべきこと」をきちんとしていれば、それなりの学校に入り、就職ができる社会だ。そして、社会に出てからもある程度の年齢までは、それでもどうにかなる。

 ところが、その常識はある日通用しなくなる。ある日、出向を申し渡された上に、全く経験のない業務を割り振られ、しかも地縁のないエリアへの勤務を命じられることも当たり前のように起きる。
 それでガックリ来るような人はたくさんいるが、共通点がある。40歳を過ぎても、ずっと受け身のままで、自分で道を拓くという発想がないのだ。

 しかし、着々と会社との距離を開きながら将来に備えている人も増えつつある。コツコツと勉強をしたり、ボランティアをしながら、地方企業から「定年後はぜひ」と声をかけられているような人たちだ。
 面白いことに、こうした人に限って大切な仕事を任される。

 「もう、いつでも辞めるつもりなんですけど、そういう時に限って新しいことを頼まれちゃうんですよ」
 こうした人は、比較的若いうちから「自分で考えて自分で決断する」習慣を身につけている。それは仕事のことだけではない。
 どこで食事をするか?いつ休んでどこに行くか?実はそうした私生活における「ちょっとした決断」も自分で考えている。
 彼らは仕事ができて、特に変革期には頼りにされる。もちろんオフタイムも充実している。

 「ちょっとした決断」すらできない人は、人生の大切なY字路に直面した時に、何も考えることができない。仕事も私生活も、知らぬ間にパッケージ化されているわけだ。
 どうやら、ミドル世代の中では着々と「キャリアの格差」が広がっている。この傾向はさらに強まっていくだろう。

 自分で考えて、自分で決める。

 書くと当たり前に見えるが、まずはそうした思考と行動習慣をつけていくことが、キャリアのY字路で正しい決断をすることにつながっていくと思う。

♦本連載は今回をもって、しばらくお休みをいただきます。その間に、これまでの連載を編集して、一冊の本にまとめる予定です。再びお目にかかることを楽しみにしております。

■今回の棚卸し

 一定の仕事ができる能力と、自ら考えて道を拓く力は必ずしも一致しない。むしろ、組織の目標に従って働いて成果を出してきた人ほど、40代以降の分岐点で立ちすくむことがある。

 自らの力を謙虚に捉える一方で、足りないことを補い学び続けていく姿勢があれば、自信を持った決断ができるだろう。

 「今が働き盛り」と感じている時こそ、その先に来る「Y字路」に備えるべきタイミングだと思う。

■ちょっとしたお薦め

 40代になった頃から、「仕事上の問題」よりも「これからの生き方」を考え直す機会が否応なしに増えてくるだろう、そこでは「人生の幸せ」について改めて考える機会も多い。

 そうした時に糧となる本は、古典の小説ではないだろうか。トルストイの「アンナ・カレーニナ」(光文社古典新訳文庫)は、そうした根源的な問いに対して、一筋の光を感じさせてくれる。

 冒頭があまりに有名な小説だが、望月哲男氏によるこなれた新訳で挑戦してみてはいかがだろうか。