Gさんが広報部長に着任した背景には、そうした問題があった。激変の中で、報道への対応は完全に受け身になっていたのだ。
 「積極的に“攻めの広報”をしてほしい。リリースを流すだけではなく、“売りにつなげる”ことがこれからの広報だ」
 それが、社長からの指示だった。英語の堪能なGさんは、新社長とのコミュニケーションもスムーズだ。広報は、社長直轄の機動部隊として活動を一新させていった。

 「攻めの広報」と言っても、簡単な話ではない。Gさんは、1年後に予定されている新製品の発表に焦点を合わせることにした。このタイミングで「新たな出発」を発信できれば、今後の展開は変わって来る。
 Tさんは30代後半の中堅スタッフとして、Gさんを支えた。叱咤されることもあったが、素晴らしい経験だった。

 将来へのプランを描く一方で、Gさんはメディア各社との関係づくりをもう一度やり直すべきだと考えた。再建の混乱の中で、広報と各社の記者たちとの関係もギスギスしていたのだ。
 記者を見つけると、自分から声をかけていく。記者は、逃げる者は追いたがる。ところが、今度は部長自らが懐に飛び込んでくるのだ。
 しかも、陽気で話はおもしろい。記者たちは、どんどんGさんのシンパになっていった。

「おまえの役職は、最後まで同じだ」

 それでも、メディアの論調はすぐに変わらなかった。
 「甘いって、言われちゃうんですよ。デスクとかに」
 そんな記者の声を、Tさんは聞いた。それでも、空気は着実に変わってきた。かつてのような批判や揶揄の論調は薄れていった。

 ところが、部内がというよりも社内が動転するような事態が起きた。
 Gさんが病に倒れたのだ。消化器系の癌だった。定期健診で異常が見つかり、即刻入院となったのだ。
 その頃は、Gさんも担当医師も比較的楽観していたようだ。病名もオープンになり、次長以下を中心に不在時の体制を整えてGさんは手術に臨んだ。

 雲行きが変わったのは、退院してしばらくたってからだった。手術とその後の検査などから、当初の想定以上に病状は悪かったのだ。
 「しばらくは治療に専念した方がいい」
 それが医師の判断だった。この時の詳細なやり取りなどを、当時のTさんは知らなかった。後になって聞くと、「覚悟を決めろ」というニュアンスだったようだ。

 Gさんがターゲットにした新製品の発表まで、1ヶ月を切っていた。メディア各社への根回しも着実に進み、宣伝部門との連携も緊密になった。社長もプレゼンテーションの準備を進めている。
 しかし、Gさんは部長職を降りることを決心して、担当役員に伝えた。
 「ベストな体制で臨むには、私が変わるべきだと思います」
 役員は判断を保留して、社長に伝えた。すぐに招集がかかり、Gさんと関係者が社長室に呼ばれた。
 経緯を聞いた社長は、ひとこと言った。
 「おまえの役職は、最後まで同じだ」

 もちろん出社できなくても、部長を替えることはない。病状がどうなろうと、生きている限りわが社の広報のリーダーはお前だ。
 社長は、Gさんを真っすぐに見つめてゆっくりと言った。
 Gさんはもちろん、社長にもまた覚悟があったのだ。冷徹で鬼のように思われていた経営者の意外なまでの温かさが、その場にいる者に伝わってきた。
 そして、Gさんは男泣きに泣いたという。

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