単なる「フーリッシュ」な困り者
K子さんや、同世代の者にとっては歓迎した異動ではあったものの、そうなると段々と別のプレッシャーがかかって来る。
今度は若手社員に対して、「勉強の方法」や「学ぶ姿勢」を教えなければならないのだ。しかし仕事はもちろん、家庭に帰ってもやることは山積みだ。
なかなか自分の時間も取れないし、新しい情報についていけてないと感じることもある。
そんな中でも同期の仲のいいメンバーで時折り集まって、食事をするのはいい機会だ。単なる気分転換ではなく、情報交換にもなる。
その夜も、何人かで集まることになった。今日は、デジタル関連の部署にいるR君も来るという。もともと理工系大学院を出ている彼は、その経験を活かして最先端の部門で活躍している。
彼の話を聞くのは、本当に面白いし刺激的だ。しかし、R君のような環境でいる人ばかりではない。
「じゃあ、どうやって勉強すればいいんだろう」という話題になっていった。
Kさんが「筋肉アタマ」の話をすると、大うけだった。みんな似たような経験があるらしい。
するとR君が言った。
「それも、大変だけど単なる勉強好きも困ったもんなんだよな」
そんなこともあるんだ?というような表情の皆に向かって、彼は続けた。
「うちの先輩には、“フーリッシュ”て呼ばれているのがいるんだよ」
もちろん陰でだけどね、と付け加えてその「由来」を語り始めた。
勉強はできるけど、交渉能力が皆無の先輩
その彼は、有名な大学を出ていて在学中に米国留学の経験もあるという。
英語もできるし、いち早くデジタル分野のビジネスに参画した。昔ながらの広告ビジネスとは異なる分野にも挑戦していて、K子さんも名前は聞いたことがあった。
R君によれば、いまでも勉強熱心だという。英語のサイトで情報を拾ってくるし、海外に知己も多いので「ともかくいろんなことを知っている」ことはたしだという。
じゃあ、何で「フーリッシュ」なのか?
「実は、スティーブ・ジョブズをいたく尊敬していてね」とR君がいうと、ピンと来た者もいたようだった。
アップルの創業者であるジョブズは、大学を卒業していない。しかし、2005年にスタンフォード大学の卒業式に招待されてスピーチをした。
そして、最後にこう言った。
“stay hungry,stay foolish”
そのまま訳せば「ハングリーであれ。愚か者であれ。」といったところだろうか。もちろん言外の意味合いもあるだろうが、このフレーズは大変有名だ。
その先輩は、何かというとジョブズの話をする。そして、くだんの言葉を口にする。
ところが、彼には致命的な問題点があった。知識もあり、企画力もあるけれど、管理職としてのリーダーシップに欠けているというのだ。とりわけ、何かのプロジェクトをおこなう時の、交渉力が皆無だという。
R君は、そうそう人の悪口を言うようなタイプではない。そしていろいろ聞いていると、たしかに大変そうだ。根回しもできないし、泥をかぶることもしない。
若い時には、あまり問題にならなかったのだろうが、リーダーになって一気に問題が噴出したらしい。
それでいながら、二言目にはジョブズの言葉だから、若い連中は敬遠するばかりだという。
「それで、いつの間にか“フーリッシュ”て言われるようになってさ」
じゃあそれって「ただのバカ」ってこと?とみんなが大笑いする中で、K子さんは、「筋肉アタマ」の上司を思い浮かべた。
(結局、二言目には「人間力」っていうのと同じか……)
でも、彼はたしかに交渉力はあった。人間のバランスって、本当に難しいと感じたのである。
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