日本の農業界が世界の農林水産物と真正面から戦う新時代がもう間近に迫っている。日本を含むTPP(環太平洋経済連携協定)参加12カ国が2016年2月に協定に署名。4月から承認案などが国会審議入りし、2017年以降にも発効する見通しだからだ。
そんな中、すでに海外で戦っている企業もある。農業界の海外進出の先兵として奮闘している企業は、決して日本で食品関連を主な事業としているわけではない。その姿はシンガポールにあった。
例えば、農機具メーカーのクボタはシンガポールで「米屋」をやっている。
「ひょっとしたら日本の店よりも美味しい米が手に入っているかもしれない」。シンガポールのビジネス街にある人気寿司店、三浦三崎港の渡邊将基ディレクターはこう話す。
寿司には新鮮なネタとシャリが欠かせない。魚は日本から空輸しているが、シャリは現地で見つけられた。
それが「クボタのお米」だ。クボタは日本の農家から米を輸出して、海外で販売しているのだ。「三浦三崎港」では週2回ほど使い切る分だけを届けてもらい鮮度を保っている。「お客様の多くは何度も訪日しているので、寿司のネタも驚くほど詳しい。新鮮な米が手に入るので自信を持って出せる」(渡邊ディレクター)。
今でこそ日本産の米の評価は高いが、実は長らく海外から見た日本産米の評価が散々だった。日本にいると信じがたいが「まずくて高い」というのだ。問題は流通経路にあった。
クボタはここにメスを入れた。クボタは2012年に香港に精米機を持ち込み、新鮮な米を販売できる仕組みを作った。シンガポールにも2013年に進出し、2015年には海外に1400トンを輸出。2016年は前年比2.3倍となる3200トンを輸出する考えだ。農機国内営業本部の石橋善光本部長は「決して輸出事業で儲けるつもりはない。農家の皆さんの新たな販路を作り収入増の機会を作ることが目的」と話す。
クボタがシンガポールに持ち込んだ精米機。新鮮な米を届けられる体制を作った。(撮影すべて:原 隆夫)
精米したてをお店へ直送
精米機を現地に持ち込むことで「まずくて高い」のうち「まずい」を解決した。1台3000万円する業務用精米機が、玄米を研いで袋詰めまでこなす。玄米は精米するまで涼しい倉庫で寝かせ、注文が入るたびに精米して顧客へ届ける体制を整えた。
海外で「まずい米」というレッテルを貼られたのは、精米してからの時間が長いことが理由だった。米は生鮮品。精米したてが最も美味しく、時間が経つにつれて味が劣化する。従来は精米後に船便で数ヶ月後に店頭に並んでいた。
シンガポールで長く飲食業を経営するクリエイティブフードコンセプトの高木崇行マネージングデイレクターは「日本産の米は手に入っても新鮮な米はなかった。いまでは日本より新鮮なので美味しい白飯を提供できている」と話す。さらにクボタは全自動炊飯器も販売し、各店で美味しいお米を現地採用の店員でも炊ける環境も整えた。
もうひとつの課題である「高い」は自社で一貫して仕入れることで解決した。クボタの地域販社が農家から買い取り、コンテナをチャーターして輸出する。クボタが流通網を構築することで日本の流通コストと同程度まで抑えた。クボタで米の輸出を担うアグリソリューション推進部の高橋元担当部長は「日本でも卸など何層もの中間業者を経由して消費者の手元に届く。意外にコストがかさんでいる。自社ですべて手がけることで競争力のある価格をつけられるようになった」という。
それでも韓国産や中国産よりは2倍の価格差がある。シンガポールの現地法人、クボタライスインダストリーの住中卓史ディレクターは「2倍ほどの価格差であれば、品質の良さが評価されて日本産が選ばれている」という。
コシヒカリが売れるとは限らない
こうして美味しく競争力がある米を売れる環境は整ったが、日本式の売り方が通じたわけではなかった。
日本食レストラン「たんぽぽ」で人気のチャーハン。クボタのお米を使っている
日本における米の6割が家庭で消費する。スーパーマーケットなどで消費者と接点を作り認知度を高めるのが定石だ。だが香港やシンガポールは9割が外食で家庭で米を炊く文化はない。
焼き鳥丼チェーン「Tori-Q」の丼ぶり。たれが染み込みやすいようにあえて硬めの米を使う。
そこで対象顧客を飲食店に絞り込んで営業を始めた。日本食のレストランにはコシヒカリやゆめぴかりといった日本でも有名な米に注文が舞い込んだ。弁当などを販売する山下哲平氏は「安定的に美味しいお米が手に入るのはありがたい」という。
だが日本食レストランだけでは需要が限られる。インド料理や中華料理など現地の中間層が出向くレストランで採用してもらえるようにクボタは動いた。ここで課題があった。現地で主流である長粒種のインディカ米は日本人からするとパサパサした食感で味気がない。一方、インディカ米を食べている人にとっては、コシヒカリは甘味と粘り気が強すぎる。クボタが進出した香港やシンガポールをはじめとしたアジアは白米をそのまま食べることはなく、汁をかけて食べる料理が多い。浸透しやすい米だったのだ。「日本の先入観を取り除かないと海外では売れない」(高橋担当部長)。
山下哲平氏が営む弁当店「哲平」。丼ぶりに合う米を使い現地の消費者にも支持されている。
クボタは各銘柄を科学的に分析し、甘みや粘りなどを数値化している。その中から選んだひとつが愛知県産「あいちのかおり」だった。シンガポールで焼き鳥丼チェーンを展開するOEDOフードサービシスの武田容平マネージングディレクターは「日本で有名なコシヒカリが人気とは限らない。海外では地方の米でもやり方次第で人気銘柄になれるチャンスが眠っている」と話す。
クボタはシンガポールと香港を皮切りに周辺諸国にも拡大したい考えだ。
日本産の種を現地で生産
シンガポールにはクボタのほかにも意外な企業が食ビジネスに関わっている。それがパナソニックだ。パナソニックは2015年11月からシンガポールでサラダを販売している。スーパーマーケットにはパナソニックのロゴがついたサラダが並んでいる。水菜やレタスなど高栄養価の野菜が入って6.9シンガポールドル(約569円)。露地物を使ったサラダよりも2ドル(約165円)ほど高いが、瞬く間に人気商品となった。野菜の生産から販売までの一貫した流通網を確立できた。
シンガポールのスーパーマーケットに並ぶパナソニック製のサラダ。発売後すぐに、人気商品となって商品棚を広げた
電機メーカーにサラダ作りのイメージはないが、パナソニックが運営する野菜工場にその秘密がある。2014年にシンガポールにある拠点の一角に野菜工場を新設。サラダ菜やレタスなど39種類の野菜を育てている。
これまで野菜を輸出するには鮮度維持が課題だった。航空便を利用するしかなく高い物流費がネックとなっていた。品質が良くても採算が合わないため輸出できない野菜も多かった。
種と設備、育て方をセットにして輸出し現地で育てることで、距離のハンデがなくなる。現地法人のパナソニックファクトリーソリューションズアジアパシフィック社の馬場英樹社長は「日本生まれでシンガポール育ちの野菜であれば品質に加え鮮度も良い。新しい形態の野菜作りで日本食の普及やシンガポールの自給率上昇にも貢献したい」と話す。
この野菜工場は最新技術を満載している。温度や湿度を管理できる密閉された空間で栽培し、天候に左右されることもなければ、害虫や大気汚染の影響も受けない。安全で新鮮な野菜を安定して供給できるのだ。
具体的には太陽光の代わりに蛍光灯で発芽させ、LEDを照射して栽培する。照射時間や強さなどを調整し光合成を促進することで、栽培条件を最適化した。一般的に60日~70日かかるレタスを約32日で栽培できるようになった。 馬場社長はこの野菜工場をシンガポール以外にも拡販を目指している。「大気汚染や温暖化の影響で農業には革新が求められている。世界的に食料供給が危機的な状態を迎えていることもあり、我々のノウハウが生かせられる地域は大きい(馬場社長)。今後シンガポールでは野菜を50種類に増やすほか、果物も栽培していく計画だ。
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