2回の転職、そして留学。迷走した20代

 36歳で執行役員、そして40歳で常務執行役員に。こう聞くと、入社以来エリートコースを突っ走ってきたように見えるが、20代は迷走の時期だった。

楽天に入社した当時の営業マニュアル。入社した日の研修で渡されたもの。翌日から営業を始めるにあたり、ぎっしりと書き込みをして、マーカーで線を引いた。その後もボロボロになるまで何度も読み直した。
楽天に入社した当時の営業マニュアル。入社した日の研修で渡されたもの。翌日から営業を始めるにあたり、ぎっしりと書き込みをして、マーカーで線を引いた。その後もボロボロになるまで何度も読み直した。

 大学時代に雑貨や海外のおもちゃを扱うショッピングサイトを立ち上げた。Windows95が発売され、間もなく訪れたインターネットブームにいち早く乗った。サイトの運営は好調だったものの、「若い感性を生かして若者向けビジネスで成功したからといって、この先続けられるか」と不安が募り、鍛えてもらえる会社に就職しようと考えた。会社選びの基準は、年功序列の残る大手企業ではなく、ベンチャー企業ながらある程度の規模があり育ててもらえそうなところ。人材派遣で急成長中だった会社に新卒で入り、その後ネット証券会社に転職した。マーケティングを担当するも「何かが違う」と辞めて海外に留学。26歳のとき楽天に中途入社をする。

 ショッピングサイトを運営していた学生時代から憧れている会社だった。ユーザーに日々使ってもらえるサービスを提供する、これを通して人を幸せにする、世の中を元気にする、という創業の精神に心ひかれたのだ。

 ところが入社して後の数年は、再び迷いの時期となった。「想像していた仕事と違う」という思いが湧いてきたのだ。配属されたのは営業部。楽天市場への出店者を募り、出店後には売上を伸ばすコンサルタントを行う。営業成績はよかったものの「自分の大事な時期をここで過ごしていいのか」「私のキャリアはこれでいいのか」と葛藤する。発想を切り替えるヒントを求めて、ポジティブシンキングの本を読み漁った。

「モバイルの河野」を目指して、猛勉強を始める

 周りの同僚を見渡すと、優秀な人が多いことにも気遅れした。このままでは置いていかれてしまう。ではどうすればいいか。PCには詳しい人が多いものの、モバイル分野に強い人は少ない。ならば「モバイルの河野」と言われるようになれば、社内で自分の居場所を作れるのではないかと考えた。

 こう決めるや、まるで受験生のように勉強を始めた。モバイルノートを一冊つくり、モバイルの市場、モバイル・コマースの現状、モバイル端末の市場、大手キャリアの動向など、自分なりに調べてはノートに記して、数字を暗記するまで反芻した。職場でも、常にこのノートを持ち歩いた。上司との面談では、「モバイルをやりたいです。モバイルの編成やマーケティングをやってみたいです」と訴えた。

 営業成績もいい、一方で自分なりに新しい市場も考えている、この河野さんの頑張りをみた上司が、三木谷浩史社長と直接話す機会を設けてくれた。モバイル市場について熱く語る河野さんに対して三木谷社長は、ならばとモバイル事業の数年後の売り上げ目標を提示した。「わかりました、計算してみます」と張り切って退出した河野さんは、頭を抱える。「これは専門家が予測する日本全体の市場規模予測を超える数字、理論的には無理だ」と。

 再び三木谷氏のもとに足を運んだ河野さんは、この調査結果を報告した。すると三木谷氏から思わぬ言葉が返ってきた。「その市場予測は、我々の成長が織り込まれていないだろう。彼らの予想を超える成長を遂げればいい。それが市場創造というものだ」。はっとした。知識をつけて理論的に予測する、そうした考え方は、まだまだ次元が低いことを思い知らされた。

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