さまざまなカルチャーが融合する組織だと見極めて転職を決めた

 JFEエンジニアリングに転じてからは、早速海外との提携交渉で力を発揮した。まずはインドでエネルギー分野のプラント設計などを手掛ける企業を買収し、エンジニアリングセンターを開設した。ドイツの環境プラントなどを手掛ける企業のM&A交渉も手掛けた。企業の選定が進んだ段階から加わり、選定企業の見極め、契約交渉、現地の独占禁止法の確認、登記まで手掛け、契約締結を成立させた。現地への出張は、延べ3カ月に及んだ。

 転職当初は海外本部本部長附に始まり、戦略企画部長、経理部長、そして常務執行役員と4年にしてステップアップを果たしたのも、実力が認められてのことだろう。

 転職にあたっては、同社の企業風土にひかれたことも決め手となった。日本鋼管と川崎製鉄が合併して誕生した会社で、両者の文化がうまく融合しているとみてとった。「権威主義的なところがなく、合理的に物事を判断する文化が根付いている。どこの会社の出身かなど気にしない」ことから、中途採用でも不利にならないだろうと考えた。ここでも冒頭で述べた「先見性」が、転職先を見極める上で光っている。

子育て中に感じた不条理をエネルギーに変えてきた

 今やJFEグループで女性幹部のロールモデルとなっている。子供を二人育てながらのキャリア形成という点でも、多くの女性社員らのモデルとなっている。20代後半で子供を二人出産してからの仕事と子育ての両立では、時間が限られるなかでの生産性を意識せざるを得なかった。

 最近でこそ、両立支援が叫ばれるようになってきたが、馬場さんが子育てに奮闘していた当時は、働く母親に対する理解も乏しかった。20代後半のある日、幼い子供を病院に連れていこうとタクシーに乗ったときのこと。「旦那さんの給料で、(こんなに若いのに)タクシーに乗れていいね」と運転手から言われたことは忘れられない。男女の役割分業意識が今より強固で、理不尽さを思い知ることが度々あった。これをエネルギーとして「もっといい仕事をしよう」「マネジャーとなったら、両立をサポートしよう」と踏ん張ってきたという。

 こうした経験があるからこそ、子育て社員を支援するには「あらゆる手段を用意しないと、フェアにはならない」と感じている。これがマネジャーとして、そして経営者としての視点に生かされているのは言うまでもない。

 自身は、母親ひとりで育児をすべて担う「ワンオペ育児」を続けてきたという。海外勤務の続いた夫とはすれ違いで離婚に至り、40歳前後で再婚した。現在の夫は法律の専門家で、自宅リビングには「判例六法」を置いて、様々なニュースを耳にするや背景と原因について議論する。「自宅でもロジカルシンキングが磨かれている」と笑う。

 座右の銘はゲーテの「仕事は仲間を作る」。そして「早く行くならひとりで行け。遠くに行くなら一緒に行け」というアフリカの格言も大切にしている。いずれも、仕事は一人ではできない、社会的インパクトのある大きな仕事は仲間がいなくてはできないということだ。そこで部下に対しては、チームプレーを大事にしようと呼びかける。自身がチームにいかに貢献できるか、常に考えようと説いている。

 実は、2年前に就いた経理部長という職は、手掛けたことのない分野でチャレンジだった。しかし、組織にいかに貢献できるかを考えるのが信条である。いまでは経理担当役員としてのミッションを果たすことが最重要任務と心得ている。

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