海外名だたる企業との契約交渉で、大きく成長した

 48歳のときJFEエンジニアリングに転じ、4年目を迎えた今年春、常務執行役員経理部長に昇進した。従業員6万人を擁するJFEグループでトップランナーのひとりに躍り出たわけだが、その足腰は間違いなく東芝時代に鍛えられたものだ。

 先述した通り、語学力をかわれて入社したものの、会社側は大卒女子の処遇に困ったようで「とりあえず部長の秘書を」と命じられた。すぐに暇を持て余し「海外営業をさせてください」と申し出る。希望がかない海外営業に就いたものの、出産から復帰後は時差のある電話会議が難しくなった。それを見た当時の部長が、海外との契約交渉を担う部署に異動をさせてくれた。文書を中心とする契約交渉なら、保育園のお迎えのために夕方5時に飛び出すなかでも成果を上げられるだろう、語学力という強みも生かせるという計らいだ。

 第二子の育休から戻ってすぐに任されたのが、マイクロソフト社とのWindows95共同開発に関わる契約交渉だった。交渉方針を練り、契約に落とし込み、設計部門に実行してもらう。当時、マイクロソフト社のシアトル本社に東芝社員が常駐して、Windows95の開発、バージョンアップ、そして新商品の検討まで支援していた。東芝のダイナブックが、ノートパソコン市場でトップシェアを占めていた頃のことだ。

 時代の波に乗り、最先端の契約交渉を手掛ける裏で悩みもあった。短期的には事業パートナーとして提携を深めることは、自社にとってメリットが大きい。しかし長期的にみると知的財産を差し出すことにはならないか。そのジレンマに頭を悩ませていた。その時に意識したのが「偉大なる歯車」となることだ。常に社長の視点で、私という人間に何をして欲しいかを考えた。30歳前後という早い時期から、長期的かつ俯瞰した視点で事業を見る「経営判断」の力を自ら磨いていたのである。

 海外との契約交渉でもうひとつ身に付けたのは、ロジカルな思考力だという。マイクロソフト、インテルといった海外IT業界のリーディングカンパニー、さらにはアジアのOEM先である韓国のサムスン電子、台湾のエイスース社、クアンタ社などと交渉するにあたり、気づいたことがある。日本企業は従来の商習慣や経験といった過去に重きを置くのに対し、海外のトップ企業は将来のキャッシュフローに目を向ける未来志向であることだ。そこで日本企業とは判断のポイントが異なる。海外企業との交渉を通して、未来に目を向けたロジカルな思考法が鍛えられたという。

西田社長(当時)からチャンスをもらい、鍛えられた

 Windows95の誕生後、海外企業との交渉・契約業務も膨らみ、馬場さん自身も大きく成長することになる。その成長を後押しした経営者がいる。故・西田厚聰氏である。2005年から2009年にかけて社長を務め実力派経営者として知られたが、不正会計発覚後は責任を追及された人である。

 東芝で大卒女性の活躍の場がなかった時代、西田氏は見込みのありそうな女性に、どんどん仕事を任せて引き上げたという。馬場さんもまた、目をかけられた一人だった。

 馬場さんが30歳前後で手掛けたインテル社などとのブルートュース事業では、「これは将来、人の行動を大きく変えるものだ。なんとか世に出すよう頑張ってくれ」と、西田氏から励まされたという。未来志向で大局的に判断する。こうした考え方をするリーダーがいるのだと、驚いたことを今でも鮮明に覚えている。

 海外企業との契約では、経営トップの名前でレターを書かなければいけない。西田氏にレターを持参すると、矢継ぎ早に本質的な質問を投げかけられた。「この交渉には意味があるのか」「リソースの振り向け先としてはどうか」「方向性に間違いはないのか」――西田氏の問題意識は、ここまで頑張って交渉したのだから、今までこの方法で成功したのだから、といった過去とは一切無縁だった。

 英文レターにも、こだわりがあった。論理の構成に隙があると、そこを突いて質問される。英語表現ひとつでも「こうした品のない表現では私の名前で出せない」「受け取る側の気持ちをもっと考えないといけない」と細やかな指導をされた。

 馬場さんはその後、38歳の若さで課長職に、43歳で技術戦略提携部長にと、同期のなかでもほぼトップランナーとして昇進を果たす。海外アライアンスも米国、欧州、東南アジアと広がり、電子書籍配信事業など新規事業の立ち上げも担うことになった。そのなかで、折に触れて西田氏から呼び出しを受ける。海外の提携事業などで「君の意見を聞いてみたい」と問いを投げかけられたという。

 2014年春、退職の挨拶のために、当時会長だった西田氏のもとを訪ねると「いやあ、それは残念だ。でも、これだけ一生懸命仕事をしてきたのだから、日本経済の発展のために力を尽くしてほしい」とはなむけの言葉を贈られたという。

JFEエンジニアリングに転職して間もなく、M&Aのためにドイツに延べ3カ月滞在して交渉にあたった
JFEエンジニアリングに転職して間もなく、M&Aのためにドイツに延べ3カ月滞在して交渉にあたった

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