神戸工場の立ち上げチームに。転勤の翌日から徹夜で仕事

 酒づくりのプロセスに関わる仕事をしたいと希望して、入社5年で神戸工場に異動した。地域限定職で入ったものの、自然に全国型コースへ移行した格好だ。神戸工場では2年目から、希望していた花形部署、醸造部の仕事を手掛けることになる。

 神戸工場に移ったのは97年、阪神淡路大震災の影響を受けて新工場の建設は遅れており、時間が足りない、人手が足りないと「まるで野戦病院のような雰囲気だった」。赴任翌日、いきなり徹夜で醸造ろ過器の実験検査をすることになる。何とか生産にこぎつけるや、今度は出荷できない商品を土日返上で倉庫にこもって判定をする「倉庫暮らし」が始まった。

 スタッフ全員、忙しいのになぜかエネルギーがみなぎっている、ハイな状態だったという。「辛くないかといわれれば、物理的にはつらい。でも嫌ではない。目標が明確で使命感をもってできる仕事であれば辛くない」ことを、この時に学んだ。これが後々リーダーとなってから、部下に対して目標と使命を説くことにつながる。この修羅場の経験が、技術的、精神的、体力的な自信につながった。ともに頑張った戦友のような同僚らは、かけがえのない仲間となった。

 「リーダーをめざそう」。こう自覚するようになったのは、神戸工場で働いていた30代半ばのころだ。現場からの提案がはかられる経営者会議に参加できない、伝聞で結果を聞くしかないことにもどかしさを感じるようになったのだ。醸造はチームで手掛ける仕事、そのアウトプットに責任を持つには、決定権を持たなくてはいけない、自分のポジションを上げなければいけない、とごく自然に思うようになった。「現場のみなの努力を無にしないためには、意思決定する立場に就くことが必要だ」と上を目指すようになる。

 工場の過酷な立ち上げ経験で自信をつけ、チームプレーの醍醐味を知った。そしてリーダーになる決意をかためる。明らかにこのとき、2回目の「脱皮」を経験した。

毎朝必ず、横浜工場内にある稲荷神社に安全祈願をしてから出勤する
毎朝必ず、横浜工場内にある稲荷神社に安全祈願をしてから出勤する

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