さて、問題はグランドデザインの具体化である。「自分たちが買いたい、欲しい、食べたい店」に出店してもらう。しかも経済効果の上がるものでなければならない。

 出店依頼をするにあたっては、これぞという店をスタッフ全員で足で探した。渋谷の雑居ビル上層階にある、かにチャーハンで有名な店の店主を口説き落したこともあった。評判のいいケーキ店は100店舗以上当たった。スタッフが買い集めて会議室で食べ比べ、有名ブランドにとらわれず、皆が美味しいと評価した店に足を運んで交渉した。「100個食べた中で、御社のケーキが一番おいしかったから是非出店して頂きたい」という言葉に嘘はなかった。

 チームで共有する方向性にブレはない。しかし、まだ誰一人として見たことのない「エキナカ」への出店交渉は難航した。手分けして何百社と回るものの、10社中9社に断られる日が続いた。「(暗くて雑然とした駅構内では)労働環境が悪すぎる」「ブランドイメージが崩れる」というのだ。

 エキナカ完成のパースを見てもらい、「駅が変わります」と、とにかく説得をした。「新しい駅づくりをするために、御社の力をぜひ貸してください」「私たちが呼び込みをしますから」といった言葉に、「最後は『根負けしたよ』という店が半分くらいでした」と笑う。

 売り方にもこだわった。青山フラワーマーケットには、小さなブーケを斜めにラックにかけて売り出すことを提案した。紙箱に入れたまま花のアレンジメントを陳列し、男性客が選ぶのも運ぶのも抵抗ないように工夫した。価格は500円~1200円、百貨店での販売価格より抑えて、POPも大きく見やすいものとした。こうしたミニアレンジメントの販売方法は評判を呼び、その後都内に広がっていった。このように、鎌田チームが編み出したヒット商品は数知れない。

39歳で子会社社長に。「私には無理だと思います」 

 上司の背中から学ぶことも多かった。プロジェクトスタート当初の上司だった、事業創造本部の取締役部長、新井良亮氏は「日和らない部長」だった。旧国鉄に入社したころは機関車の窯たきだったノンキャリア組で、最後は副社長にまで上り詰めた実力派。仕事の任せ方が上手で、腹がすわっていた。

 その上の上司は、のちにりそな銀行に転じて会長となった、副社長の細谷英二氏。りそな銀行の経営を再建し、ダイバーシティ推進をけん引した名経営者である。そして当時の社長は、大塚陸毅氏。社長時代に、スイカを導入し、さらにはエキナカを成功させたことで知られる。「これに投資しても会社は潰れないぞ」と鶴のひと声でプロジェクトを推し進めた姿が、今でも頭に残っている。

 社長直下の新規プロジェクトチームのため、副課長であった鎌田さんの上には、課長も次長、部長もいなかった。直属上司は取締役部長。上司の新井氏に付いて「メモ取り」として役員会への出席が許されたこともあった。35歳という若さで、経済界に知られる名経営者の采配に間近に触れ、大局観を学ぶこととなる。

 こうした背中を見ていたからか、エキナカ事業を担う子会社の社長に39歳という若さで抜擢されたときは、「私には無理だと思います」と思わず口にしてしまった。後にも先にも「私には無理」と言ったことはない。一晩考えて、翌朝また上司に「無理だと思います」とできない理由を並べて申し出たが、「人間いくつになっても初めてのことがあるものだ」と説き伏せられたという。

 2005年3月に、初のエキナカ「ecute大宮」がオープン、6月に子会社社長に就任し、10月には「ecute品川」を開業。子会社の社長として経営を担い、部下のマネジメントもしながら、埋まらない新規出店の交渉も引き受けた。息つく間もなく2007年10月には「ecute立川」を開業。「念ずれば通じる」「為せば成る」が信条と聞くと、鎌田さんの言葉だけに説得力がある。