手を挙げてネットサービス部門へ。サービス開始遅れでクレームの嵐

 バブル崩壊により、次なる試練に直面する。オーディオ機器事業が縮小し、デジタルネットワークに移行しようとするなか、自分の仕事がなくなってしまうのではないかという危機感を抱く。

 そんな時、ひとりの先輩が「新しい仕事に挑戦してみないか」と声をかけてくれた。「ネットワーク事業には、音楽や映像のコンテンツに詳しい技術者がいない。そうした人材を求めている」というのだ。ならば新天地に移ろうと、意を決する。ネット上で異動を申し出る「eチャレンジ制度」で希望を出したところ認められ、大阪から東京に転勤、新サービス立ち上げを手掛けることになった。

 2001年、38歳の時のこと、インターネットビジネスの黎明期で世の中が湧いていた。音楽、ハイビジョン、3Dなどの配信サービスを開発するという、まさに最先端の事業である。異動してすぐに「なんとこれまで外の世界を知らなかったのか」と目を見張った。これまで身を置いたものづくりの世界では、数年かけて一つの商品を開発するが、スピード感が違う。ネットビジネスでは、アイデアが生まれたら半年ほどで新サービスを立ち上げて顧客に提供する。新しい世界を知ることが、「第二の脱皮」につながったという。

 43歳のとき、サービスチームのリーダーに就いてから思わぬ事件が起きる。デジタルカメラの購入者に提供する付随サービスとして、友人に写真を公開して共有するという新サービスを立ち上げようとしたときのこと。サービス開始日時をアナウンスしていたにもかかわらず、直前になってもバグが解決できない。結局、開始は3週間遅れとなってしまった。その間、担当部署は嵐のようなクレームに対応することになる。リーダーである小川さんもまた、来る日も来る日もクレーム対応を続けた。

 「情けなかった。なぜもっと早く判断できなかったのかと」。ドッグイヤーと言われるなか、若手と一緒にスピード感をもって新しいものを作っていこうと思ったものの、判断が甘かった。プロジェクトリーダーでありながら、そのプロセスをコントロールできていなかった。他部門と情報を共有して、第三者の目で進捗チェックをしてもらえば、警告を発してもらうこともできたはずだ。その後、新ビジネスを立ち上げる上での大きな教訓を得ることになった。

 「インターネットのサービス立ち上げは難しい」。こう痛感する一方で、演奏家としての評価は高まっていた。米国のレーベルから声をかけられ、野球界でいうならメジャーリーグ級の演奏家とともにCDを発売することができた。これが英国の「ジャズ・ジャーナル・インターナショナル」誌で、評論家投票により年間ベストアルバムに選ばれた。音楽プロデューサーから「会社を辞めてプロになってはどうか」と、熱心な誘いを受けることになる。

 再び会社を辞めるか、続けるべきか、逡巡した。社内外で人生の先輩らに助言を仰いだところ、賛否両論。とことん悩んだ末、再び「二足のわらじ」をはき続ける道を選んだ。「これまで成長できたのは、会社がさまざまな経験をさせてくれたからこそ。オーディオ機器の開発者になっていなければ、ジャズとの出会いもなかった。音楽と仕事を両立させるのは、自分にしかできない選択ではないか」。ネットサービス事業の失敗と両立への迷い、これを乗り越えたことが「3度目の脱皮」につながった。