とはいえスポットライトを浴びるのは一瞬のこと。大きな使命を負って、奔走する日々だ。ビジョンを描いて進むべき方向を示す、最先端の技術を結集して磨き上げる、技術と感性を融合させるブランド戦略を構築する。ブランド復活から4年、黒字化という大きな課題も常に両肩にのしかかっている。

 パナソニックの看板ブランドだったテクニクスの復活は、社内技術者からのボトムアップで実現した。1965年から45年間、音楽ファンに愛されてきたテクニクスは、デジタル化の波に押されて2010年にいったん生産を終了した。その後もコツコツとマイクロコンポを作り続けた技術者がいた。「これは素晴らしい。再びテクニクスブランドで発売したらどうか」と欧州の専門家から高い評価を得るほどの品質だった。意を強くした技術者は、会社にブランド復活を提案する。「自分たちにしかできないことを手掛けるべきではないか」という社員の提案を、経営陣は受けとめた。最後に責任者を誰にするかという段になり、小川さんに白羽の矢が立ったのだ。

 辞令を受けた小川さんは「まさにこれは私の使命である」と、武者ぶるいするような気持ちだった。新卒で配属された研究所での「ものづくり」、その後40歳間近にして手をあげて異動したeネット事業部での「サービス」立ち上げ、40代半ばにCSR部門に異動して開眼した「ブランド価値」の創造。この3分野で経験したすべてがつながると思ったのだ。

「音楽も仕事も中途半端だね」。先輩の言葉に奮起する

 実は何度か会社を辞めようかと思い悩んだこともある。手痛い失敗もあれば、挫折もあった。思い起こせば、これまでに4回の「脱皮」を経たことで、今があるという。

 大学では生体電子工学を専攻、ラットの心臓がどういうリズムで動いているかを解析し、心拍や呼吸が臓器と如何に連携しているかを研究するなかで、松下電器産業(現パナソニック)の音響機器開発に興味を持った。入社してすぐ配属された音響研究所は「世の中にないものを作り出そう」という新たな事業に挑戦する部署だった。

 開発にかかわった世界初の薄型大面積の壁面スピーカーは、ウィーン国立歌劇場に納入された。専門家から高い評価を得るような斬新な商品を次々生み出す職場だった。常識から抜け出した商品を作り出して、どのように顧客に届けるか。そんな仕事が面白くて、寝食を忘れて没頭した。技術開発のみならず広報リリースも手掛けるなど、一人何役もこなしたが、不満はなかった。

 ところが、30歳のとき、この新規事業を手掛けるチームが解散してしまう。会社を辞めたほうがいいのか、結婚・出産も考えたほうがいいのか。休暇を取ってひとりニューヨークの街を歩きながら、考えた。そんなとき、ひとりの上司が落ち込んでいる姿をみて「ジャズバンドに入らないか」と声をかけてくれた。

30代前半はマルチメディア開発センターでDVDオーディオ国際規格標準化を手掛けていた。スタジオをつくり、高音質制作プロセスを研究。

 音楽活動を始め、職場ではマルチメディア開発センターに移り「もう一度頑張ろう」と心に決めて、しばらくしてからのこと。

 「仕事も音楽も、すごく中途半端だね」

 信頼している先輩からこんな厳しい言葉をかけられた。軽い気持ちで音楽活動を始めたわけではなかったので、動揺した。

 先輩の言うように、仕事も音楽も「中途半端」なままでいいのか。再び迷いの渦に入り込む。考えた末に出した結論が、音楽も仕事も追求することを自身の個性とする生き方だ。音楽を再現する技術開発者、音楽を生み出す演奏家、この二つを続けることでシナジー効果が生まれ、自分も成長するのではないか。こう決意したことが、最初の「ひと皮むける」経験となった。